秋山勝彦 (柔道)
秋山 勝彦(あきやま かつひこ、1967年11月29日 - )は、静岡県富士市出身の、日本の柔道家である。階級は95kg級。身長174cm。得意技は内股、背負投[1][2]。
獲得メダル | ||
---|---|---|
日本 | ||
柔道 | ||
グッドウィルゲームズ | ||
銅 | 1990 シアトル | 95kg級 |
経歴
編集柔道は小学校2年の時に始めた[1]。日大三島高校2年の時に全国高校選手権の団体戦でチーム初となる3位に貢献して優秀選手に選ばれた[1]。3年の時にインターハイ重量級で決勝まで進むが、天理高校3年の中谷弘に敗れて2位だった[2]。
1986年に日大へ進学すると、1年の時には新人体重別の95kg級決勝で東海大第五高校3年の甲斐康浩に敗れて2位だった [3]。2年の時には講道館杯と体重別で3位に入ると、正力杯でも3位になった[4][5][6]。新人体重別では決勝で近畿大学2年の竹村典久を破って優勝を飾った[3]。4年の時には講道館杯の決勝で東海大学3年の甲斐に敗れて2位だった[4]。正力杯では決勝で竹村を破って優勝した[6]。ブルガリア国際で国際大会初優勝を飾ると、続くドイツ国際では3位となった[2]。
1990年には95kg超級及び無差別の世界チャンピオンである小川直也とともにJRAの所属となった[2]。シアトルで開催されたグッドウィルゲームズでは3位だった[2]。1991年の講道館杯では決勝で大学の2年後輩にあたる日大4年の賀持道明に敗れた[4]。1994年からは実業個人選手権で2連覇を達成した[7]。一方、講道館杯では同じ職場となったJRAの賀持に決勝で敗れて2位だった[4]。続くオーストリア国際でも決勝で賀持に敗れた[2]。1995年の全日本選手権では準々決勝まで進むと、86kg級の世界チャンピオンである旭化成の中村佳央と対戦した。その試合では肩車と体落で有効を取られると、終了と同時に腕挫十字固を極められて敗れたが5位に入った[8]。1997年の体重別では階級を上げてきた中村佳央に決勝で敗れて2位だった[5]。
戦績
編集- 1985年 - 全国高校選手権 団体戦 3位
- 1985年 - インターハイ 2位(重量級)
- 1986年 - 新人体重別 2位
- 1987年 - 講道館杯 3位
- 1987年 - 体重別 3位
- 1987年 - 正力杯 3位
- 1987年 - 新人体重別 優勝
- 1989年 - 講道館杯 2位
- 1989年 - 正力杯 優勝
- 1990年 - ブルガリア国際 優勝
- 1990年 - ドイツ国際 3位
- 1990年 - 体重別 3位
- 1990年 - グッドウィルゲームズ 3位
- 1990年 - 嘉納杯 95kg級 5位 無差別 5位
- 1991年 - 講道館杯 2位
- 1991年 - 体重別 3位
- 1992年 - ブルガリア国際 3位
- 1993年 - 体重別 3位
- 1993年 - 実業個人選手権 3位
- 1994年 - 実業個人選手権 優勝
- 1994年 - 講道館杯 2位
- 1995年 - オーストリア国際 2位
- 1995年 - 全日本選手権 5位
- 1995年 - 実業個人選手権 優勝
- 1997年 - 体重別 2位
- 1997年 - 実業個人選手権 3位
(出典[2]、JudoInside.com)。
脚注
編集- ^ a b c 【広報ふじ昭和60年】クローズアップ 人
- ^ a b c d e f g 「平成6年度後期国際試合柔道強化選手」近代柔道 ベースボールマガジン社、1995年2月号 23頁
- ^ a b 全日本ジュニア柔道体重別選手権大会
- ^ a b c d 講道館杯全日本柔道体重別選手権大会
- ^ a b 全日本選抜柔道体重別選手権大会
- ^ a b 全日本学生柔道体重別選手権大会
- ^ 全日本実業柔道個人選手権大会
- ^ 「全日本柔道選手権大会」近代柔道 ベースボールマガジン社、1995年6月号 9頁
外部リンク
編集- 秋山勝彦 - JudoInside.com のプロフィール