秋元義久
秋元 義久(あきもと よしひさ)は、戦国時代の武将。上総国小糸城[1]主。小糸城は別名、秋元城。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 永禄8年6月2日(1565年6月29日) |
別名 | 小次郎(通称) |
氏族 | 秋元氏 |
父母 | 秋元義政(一正)? |
略歴
編集秋元氏は宇都宮氏の流れを汲み、臼井荘(現在の千葉県白井市)を根拠としていた御家人の秋元太郎左衛門尉勝光(詳細は秋本寺の記述も参照)や譜代大名となった秋元長朝の同族であるといわれている。地理的関係から里見氏の影響下にあった。
永禄6年(1563年)、第二次国府台合戦(前半戦)で里見氏が敗れると、北条氏康の命を受けた千葉胤富らの攻撃を受けるようになる。更に小糸城の西にあった里見氏当主・里見義弘の居城佐貫城が北条軍に奪われると孤立無援に陥った。
義久は激しく抵抗したものの、永禄8年(1565年)6月2日、ついに小糸城は陥落して義久は戦死した。