秋元宏作

日本のプロ野球選手 (1968-)

秋元 宏作(あきもと こうさく、1968年1月29日 - )は、東京都文京区出身の元プロ野球選手捕手)・埼玉西武ライオンズのスカウト・育成統括ディレクター。

秋元 宏作
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都文京区
生年月日 (1968-01-29) 1968年1月29日(56歳)
身長
体重
181 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1986年 ドラフト外
初出場 1990年4月25日
最終出場 2000年9月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 横浜ベイスターズ (2001 - 2010)
  • 埼玉西武ライオンズ (2011 - 2021)

経歴

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国学院久我山高では3年次の1985年春の第57回選抜大会に「4番・捕手」として出場するが、1回戦で松商学園に敗れる[1]。同年夏の西東京大会でも準決勝に進むが、日大三高に敗れ、ベスト4。

高校卒業後の1986年4月、日本大学に進学したものの野球部には入らず、母校のコーチを務めていた[1]。同年オフに日大を中退し、ドラフト外西武ライオンズに入団[1]

1987年シーズンには、和田博実二軍監督の引率でアメリカ1A「サンノゼ・ビーズ」へ野球留学もしたが[1]、当時の西武は伊東勤が正捕手で固定されており、一軍出場機会はなかった。

1990年シーズン開幕直前に村岡耕一河野誉彦との2対3の交換トレードで、駒崎幸一青山道雄と共に横浜大洋ホエールズへ移籍。移籍初年の背番号は普段コーチに使われるような83であったが[注 1]、一軍に定着して活躍。

1991年シーズンには背番号を39へ変更された[2]。この頃には打力と盗塁阻止は谷繁元信より劣るものの、守備やリードは秋元のほうが巧みであり投手陣には好評であった。特に佐々木主浩とは相性が良く、谷繁が先発している試合でも佐々木がリリーフ登板する際には秋元が交代してマスクをかぶることが度々あった[3]

1995年シーズンには捕手としてチーム最多の100試合に出場した。

1996年シーズンに大矢明彦一軍バッテリーコーチが監督に昇格すると谷繁が正捕手に固定され、出場機会が減少。

2000年シーズン限りで現役を引退。

引退後は横浜で一軍バッテリーコーチ(2001年シーズン, 2006年シーズン - 2007年)シーズン、二軍「湘南シーレックス」バッテリーコーチ(2002年シーズン - 2005年シーズン, 2008年シーズン - 2009年シーズン)・育成コーチ(2010年シーズン)を務めた。

2011年シーズンからは古巣・西武で二軍バッテリーコーチとして復帰。

2017年シーズンから2020年シーズンには一軍バッテリーコーチを務め、森友哉を正捕手へと育て上げた[4]

2021年シーズンは再び二軍バッテリーコーチを務めた[5]

2022年シーズンから球団本部のファーム・育成グループディレクターに就任[6]

2025年からは埼玉西武ライオンズの球団副本部長を務めることが発表された[7]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1990 大洋
横浜
67 124 115 10 23 6 1 3 40 11 0 1 0 2 7 0 0 29 3 .200 .242 .348 .590
1991 81 202 172 8 43 3 1 1 51 18 4 1 13 2 14 2 1 38 2 .250 .307 .297 .603
1992 98 283 244 20 52 12 1 2 72 27 2 0 5 3 29 3 2 51 5 .213 .298 .295 .594
1993 71 137 119 8 28 5 0 3 42 13 1 2 5 1 12 4 0 32 2 .235 .303 .353 .656
1994 49 66 60 4 14 4 0 0 18 3 0 0 0 0 6 1 0 18 1 .233 .303 .300 .603
1995 101 250 215 17 43 9 0 5 67 19 2 1 6 2 27 5 0 43 6 .200 .287 .312 .599
1996 46 53 48 8 12 1 1 1 18 7 0 0 2 0 3 2 0 9 0 .250 .294 .375 .669
1997 24 40 36 3 8 2 0 1 13 6 0 0 1 0 2 1 1 8 1 .222 .282 .361 .643
1998 18 29 26 0 4 2 0 0 6 3 0 0 0 0 3 0 0 9 0 .154 .241 .231 .472
1999 17 35 33 2 3 0 0 0 3 1 0 0 0 0 2 0 0 10 0 .091 .143 .091 .234
2000 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:11年 573 1220 1069 80 230 44 4 16 330 108 9 5 32 10 105 18 4 248 20 .215 .288 .309 .597
  • 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更

年度別守備成績

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捕手
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1990 66 256 18 1 1 3 .996 30 23 7 .233
1991 80 377 25 1 6 6 .998 35 26 9 .257
1992 98 550 27 3 4 3 .995 41 30 11 .268
1993 59 244 24 4 1 3 .985 24 16 8 .333
1994 42 108 10 1 2 3 .992 19 14 5 .263
1995 100 491 46 4 11 6 .993 78 59 19 .244
1996 40 129 4 1 0 0 .993 18 17 1 .056
1997 19 69 6 4 1 0 .949 5 5 0 .000
1998 15 39 1 0 1 0 1.000 4 3 1 .250
1999 17 68 8 2 1 0 .974 13 11 2 .154
通算 536 2331 169 21 28 24 .992 267 204 63 .236

記録

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初記録

背番号

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  • 61(1987年 - 1989年)
  • 83(1990年)
  • 39(1991年 - 2000年)
  • 84(2001年 - 2009年、2011年 - 2021年)
  • 73(2010年)

脚注

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注釈

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  1. ^ 一緒に移籍した青山は河野が着けていた0、駒崎は村岡が着けていた45であった(秋元と違い、西武時代の駒崎はシーズン最高60試合以上出場と実績があり、青山もはるかに少ないものの一軍出場はあった)。

出典

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  1. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、8ページ
  2. ^ 秋元宏作コーチ「あのショックは忘れられません」」『週刊ベースボールONLINE』2014年10月14日。2021年11月3日閲覧
  3. ^ 二宮清純レポート中日ドラゴンズ・捕手谷繁元信落合博満前監督から学んだこと」『週刊現代』2012年1月26日。2021年11月3日閲覧
  4. ^ 週刊ベースボール2020年2月25日増刊号、2020年度プロ野球全選手カラー写真名鑑号、6頁
  5. ^ 2021シーズン コーチングスタッフ発表&就任会見」『埼玉西武ライオンズ』2020年11月11日。2021年11月3日閲覧
  6. ^ 横浜の"日本一"コンビがコーチで復帰、西武はチームの顔が1軍ヘッドに 3日の去就」『Full-Count』2021年11月3日。2024年10月30日閲覧
  7. ^ 人事異動ならびにコーチングスタッフに関するお知らせ」『埼玉西武ライオンズ』2024年10月22日。2024年10月30日閲覧

関連項目

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外部リンク

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