秋元修朝
秋元 修朝(あきもと のぶとも)は、江戸時代中期の出羽国山形藩の世嗣。官位は従五位下・摂津守。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 明和元年12月28日(1765年1月19日) |
死没 | 寛政2年2月26日(1790年4月10日) |
官位 | 従五位下・摂津守 |
藩 | 出羽山形藩世嗣 |
氏族 | 秋元氏 |
父母 | 秋元永朝、井伊直幸娘 |
兄弟 |
修朝、知朝、久朝、了智院、 土井利行婚約者ら |
妻 | 松平定静娘 |
略歴
編集明和元年(1764年)、2代藩主・秋元永朝の長男として誕生。母は井伊直幸の娘。正室は松平定静の娘。
安永9年(1780年)に10代将軍・徳川家治に初御目見し叙任するが、家督相続前の寛政2年(1790年)に早世した。
代わって弟の知朝が嫡男となった。