福知山西駅
福知山西駅(ふくちやまにしえき)は、かつて京都府福知山市天田にあった北丹鉄道の駅(廃駅)である。北丹鉄道の本社と車庫が併設されていた[1]。
福知山西駅* | |
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ふくちやまにし FUKUCHIYAMANISHI | |
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福知山市民病院口駅(京都丹後鉄道)は北西側 | |
所在地 | 京都府福知山市天田 |
所属事業者 | 北丹鉄道 |
所属路線 | 北丹鉄道線 |
キロ程 | 1.1 km(福知山起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1923年(大正12年)9月22日 |
廃止年月日 | 1974年(昭和49年)2月28日** |
歴史
編集当駅は1923年(大正12年)9月、北丹鉄道の開業に合わせて開業した。当初の駅名は福知山町駅(ふくちやまちょうえき)であったが[1][2]、同年12月には福知山西駅に改称されている[3]。
北丹鉄道は1971年(昭和46年)3月に営業を休止し、そのまま1974年(昭和49年)2月末に廃止許可[4]、当駅もこの時廃止された[2]。廃止後の駅には車両3両(DB5L2、ハ12、DLC1)が長い間置かれていたが、1983年(昭和58年)頃に撤去されており、3両とも現存しない[5][6]。
年表
編集駅構造
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→ 下川 |
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凡例 出典:[11] 接続していない線路は撤去済みを示す |
北丹鉄道では一番規模の大きな駅であったが、ホームは1面のみ、線路はホームに接する発着線1本のほかに機回し線と車庫への引き込み線がそれぞれ1本ずつという簡単な構造であった[1][12]。引き込み線ははじめ2本あったが、北丹鉄道がバスの運行を始めると1本撤去され、空いた分の敷地はバスの整備場に転用された[12][13]。
駅舎は北丹鉄道の本社屋を兼ねたもので、木造2階建て[1]。駅員が配置されていた[14]。北丹鉄道は隣の起点駅福知山に駅員を配置していなかったため、福知山駅での業務は当駅から上り列車に乗車した駅員によって行われた[12]。その後、折り返しの便まで時間がある場合は、客車を同駅に置いたまま駅員と動力車を当駅にいったん回送していた[1][12]。
駅周辺
編集駅は当時の福知山の市街地西北の外れに位置していた[1]。周辺には野原が広がっており、田園風景が見られたが、現在は住宅街となっている[6][15]。
- 福知山市立昭和小学校
- 福知山市立昭和幼稚園
駅跡
編集当駅の跡地は「西駅公園」という公園になっており、一角にはホームとレールが敷かれている[15][16][17]。かつては鉄道公園として駅跡に北丹鉄道ゆかりの車両が置かれていたが、駅構内だった場所は住宅地に変わり、駅前広場だった場所が公園として整備された[18]。公園内には駅名標を模したモニュメント、当地に本社があったことを示す「北丹鉄道本社跡」の石碑があり[15][19][20]、駅前に生えていたカシやモクセイの木も残っている[21]。なお、福知山市内にある福知山鉄道館ポッポランドには、当駅舎内が当時の雰囲気のまま再現されている。
公園には北丹鉄道2号機の実物大レプリカが展示されている[20][21]。レプリカは北丹鉄道営業当時の雰囲気を伝えるモニュメントとして福知山市がおよそ3,500万円をかけて製作、2004年(平成16年)4月に設置された[17][21]。かつては国鉄C58形蒸気機関車56号機が静態保存されていたが[22]、これは1999年(平成11年)9月にポッポランドへ移設されている[16][23]。同機は市内の倉庫に放置されていたものを有志が整備したもので、1983年(昭和58年)より公園内で展示されていたが、住宅街の中という立地で人目に付きにくかったことからポッポランドの開館(1998年)を機に展示場所が移された[23][24]。
公園から北西方向に伸びる、緩やかにカーブした道路は北丹鉄道の線路跡である[18]。北丹鉄道は当駅から先、下川駅に向かって由良川の河川敷を走行していた[18]。
隣の駅
編集脚注
編集- ^ a b c d e f 山本 2000, p. 12.
- ^ a b c d e 今尾 2008, p. 42.
- ^ a b 「地方鉄道駅名改称」『官報』1923年12月25日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 寺田 2010, p. 45.
- ^ 岩堀春夫「専用線の機関車20 私鉄のDL その1 加悦・北丹・別府・岡山臨港のDLたち」『鉄道ファン』第25巻第8号(通巻292号)、交友社、1985年8月、OCLC 835841285。
- ^ a b 山本 2000, p. 15.
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年10月1日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 新・鉄道廃線跡を歩く, p. 210.
- ^ a b c d 北丹鉄道の歴史, p. 25.
- ^ a b 寺田 2010, p. 43.
- ^ 山本 2000, p. 13.
- ^ a b c d 寺田 2010, p. 46.
- ^ 山本 2000, p. 14.
- ^ 京都大学鉄道研究会 1969.
- ^ a b c “草むらの中走った北丹鉄道 廃止から30年 今でも多くの人の心の中に”. WEB両丹. 両丹日日新聞. 2018年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月4日閲覧。
- ^ a b “北丹鉄道のSLを復元 福知山市、西駅公園に設置の方針”. 読売新聞(大阪朝刊・京都市内) (読売新聞社): p. 29. (2001年12月18日)
- ^ a b “北丹SL2号機の実物大模型を設置 西駅公園”. WEB両丹. 両丹日日新聞 (2004年4月16日). 2018年2月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月12日閲覧。
- ^ a b c 新・鉄道廃線跡を歩く, pp. 45–47.
- ^ 寺田 2010, p. 48.
- ^ a b 名取紀之 (2008年8月3日). “甦った(?)北丹鉄道2号機。”. 編集長敬白. 鉄道ホビダス. 2018年2月4日閲覧。
- ^ a b c “旧北丹鉄道のSLを忠実に再現 福知山・西駅公園に設置”. 読売新聞(大阪朝刊・山城) (読売新聞社): p. 31. (2004年4月17日)
- ^ 「TOPIC PHOTOS 関西 かごに入れられたC58 '71-6-13」『鉄道ピクトリアル』第21巻第9号(通巻255号)、鉄道図書刊行会、1971年9月、78頁、ISSN 0040-4047。
- ^ a b “SLモクモク夜の大移動 福知山市の展示場所変更 1.4キロ、1時間かけ”. 読売新聞(大阪朝刊・京都市内) (読売新聞社): p. 31. (1999年9月18日)
- ^ “SL"第3の人生"出発 公園から商店街へ移設 鉄道の街、福知山PR”. 読売新聞(大阪朝刊・京都市内) (読売新聞社): p. 35. (1999年2月25日)
参考文献
編集- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 9 関西2、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790027-2。
- 今尾恵介(編著)『新・鉄道廃線跡を歩く』 4(近畿・中国編)、JTBパブリッシング、2010年。ISBN 978-4-533-07861-3。
- 京都大学鉄道研究会「北丹鉄道」『鉄道ピクトリアル』第19巻12月臨時増刊号(通巻232号)、鉄道図書刊行会、1969年12月、64-71頁、ISSN 0040-4047。(再録:『私鉄車両めぐり 関西』鉄道図書刊行会〈鉄道ピクトリアル別冊 鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション 19〉、2010年、73-83頁。全国書誌番号:21848519。)
- 寺田裕一『新 消えた轍 ―ローカル私鉄廃線跡探訪―』 8 近畿、ネコ・パブリッシング〈NEKO MOOK〉、2010年。ISBN 978-4-7770-1075-2。
- 福知山市開発公社 編『北丹鉄道の歴史』福知山市開発公社、1988年。全国書誌番号:89020349。
- 山本武男『北丹鉄道 ―河川敷に消えた小鉄道―』ネコ・パブリッシング〈RM LIBRARY 14〉、2000年。ISBN 978-4873662091。