福田 哲平(ふくだ てっぺい、1977年12月28日 - )は、かつてプロデューサーハウスあ・うんで活動していたお笑い芸人[1]。現在は主に構成作家ディレクターとして活動(エム・エーフィールドで活動している脚本家は別人)。

福田ふくだ 哲平てっぺい
本名 福田 哲平(読み同じ)
生年月日 (1977-12-28) 1977年12月28日(46歳)
出身地 日本の旗 日本東京都
血液型 B型
身長 167cm
言語 日本語
方言 共通語
芸風 コント
事務所 プロデューサーハウスあ・うん
フリー
活動時期 1997年 - 2004年
2009年9月 -
過去の代表番組 爆笑オンエアバトル
KEN-JIN
など
他の活動 ツアーコンダクター
構成作家
配偶者 既婚
公式サイト 公式ホームページ
テンプレートを表示

略歴

編集

東京都出身。1997年デビュー。始めはどうやったら芸人になれるのか分からず、新聞に載っていた小さく「芸人」と書かれてあった劇団員募集の広告を見つけ友人とそこへ入団するも、そこがさほど芸人に特化していない劇団であった事に気付いて退団。その後、その友人とコンビを組み「ラ・ママ新人コント大会」のネタ見せに参加していたが、相方がネットワークビジネスにハマってしまった事も影響して程なくして解散となる[2]

その後「怪人社ライブ」へ客として足を運んだ際に会場で配られていたチラシをきっかけにプロデューサーハウスあ・うんの主催ライブ「東京笑い者」の存在を知り、そこで海砂利水魚U-turn、当時あ・うんに所属していたプラスドライバーの面白さに触れた事から事務所へ履歴書を送り、ネタ見せを経てピン芸人としてプロデューサーハウスあ・うんの所属となる[2]

1999年爆笑オンエアバトルに出演し、初挑戦で初オンエア。ピン芸人として初めて「初挑戦でトップ通過」を達成する。その後もコンスタントに出演し、2003年3月1日放送の名古屋大会では自己最高となる513KBを記録。しかし、その反面で連敗を経験するなど成績に波があった(通算6勝8敗)。

段々と自身のネタストックが底を突き行き詰まりを感じていた最中で、当時交際していた彼女の「もしかしたら妊娠したかも」という一言をきっかけに2004年に芸人を一度引退(しかし後日、その彼女は妊娠していなかった事が発覚する)。芸人引退後、ツアーコンダクターとして1年ほど働いていたが、次第にまたお笑いに携わった仕事がしたいと思うようになり、作家として業界に復帰[2]

2009年9月に芸人としても活動を再開。2010年R-1ぐらんぷりに出場し、3回戦へ進出。また、2010年から2011年ごろまでスチールカメラマン。2010年はフリーライターとして雑誌、新聞社で活動していた。

現在は主に構成作家ディレクターとして活動。notall、Task have Fun転校少女*風男塾Party Rockets GTなどアイドル公式SHOWROOM番組の構成及びディレクターも務める[3]

芸風

編集

主にコントを披露。音楽を織り交ぜ楽曲にツッコむものや、曲名を使って会話するコントなどを披露している。コントにもさまざまな種類があるが、誰もが知っている楽曲にツッコむという手法は独特でスケッチブックやモニターを音楽とうまく合わせて融合させている。

人物

編集

出演番組

編集

テレビ

編集

ラジオ

編集

ウェブテレビ

編集

おもな構成番組

編集

テレビ

編集

ラジオ

編集

ウェブテレビ

編集

脚注

編集
  1. ^ 一宿一通2「プロフィール-テッペイ」”. frontline.bz. 2020年11月28日閲覧。
  2. ^ a b c 藤井ペイジ公式YouTubeチャンネル 2021年8月27日配信動画「【彼女のひと言で引退?】福田哲平 パート①【辞めた芸人に話を聴こう】」より
  3. ^ a b c d e f 福田哲平のちゃんとしたサイト”. fukudabomb.web.fc2.com. 2020年11月28日閲覧。
  4. ^ カンニング竹山の土曜The NIGHT #105~子供部屋おっさんの逆襲~”. ABEMA (2020年6月14日). 2020年6月14日閲覧。
  5. ^ カンニング竹山の土曜The NIGHT #123~子供部屋おっさんアイドルに喝~”. ABEMA (2020年11月29日). 2020年11月29日閲覧。

外部リンク

編集