福永泰子
福永 泰子(ふくなが やすこ、1918年(大正7年)3月16日[1] - 2006年(平成18年)9月11日)は、日本の華族。皇后女官。嵯峨実勝侯爵令嬢。夫は関西大学教授・福永健治。母は9代浜口吉右衛門の長女・尚子(ひさこ)。
略歴
編集関西の実業家で宮家との縁もある福永家に嫁ぐが、わずか1年8ヶ月で夫に先立たれる[2]。
1968年(昭和43年)5月、泰子の勧めにより、溥傑・浩の次女で姪である嫮生と、亡夫の姉の次男である健治が結婚した[3]。
徳川義寛の勧めで宮中に入り、1971年(昭和46年)から1989年(平成元年)にかけて宮内庁侍従職で女官を務め、その後2000年(平成12年)まで香淳皇后に仕えた[4]。83歳で退職[5]。
2006年9月、88歳で死去。葬儀は神戸市須磨区で健治が経営する高齢者福祉施設「 パーマリィ・イン須磨 」の自宅で行われた。葬儀の喪主は嫮生が務めた[6]。
脚注
編集参考文献
編集- 福永嫮生『流転の王妃 愛新覚羅溥傑・浩 愛の書簡』文藝春秋、2011年。ISBN 978-4-16-374250-2。
- 本岡典子『流転の子―最後の皇女・愛新覚羅嫮生』中央公論新社、2011年。ISBN 9784120042690。