福星寺館(ふくしょうじやかた)は、千葉県四街道市吉岡にあった日本の城。1983年(昭和58年)4月15日付けで四街道市指定史跡[1]

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福星寺館
千葉県
福星寺館
福星寺館
天守構造 なし
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 吉岡氏
遺構 土塁、堀
指定文化財 四街道市指定史跡
「吉岡下タ山の福星寺館跡」[1]
位置 北緯35度38分48.7秒 東経140度11分54.6秒 / 北緯35.646861度 東経140.198500度 / 35.646861; 140.198500座標: 北緯35度38分48.7秒 東経140度11分54.6秒 / 北緯35.646861度 東経140.198500度 / 35.646861; 140.198500
地図
福星寺館の位置(千葉県内)
福星寺館
福星寺館
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概要

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中世期に臼井氏の一族・吉岡氏が居城し、同じく四街道所縁の臼井氏一族山梨氏、蕨氏、中台氏、小名木氏らと共に千葉荘山梨郷周辺(現在の四街道市南部)を治めていたと言われている。『千学集抜粋』にも、天文19年(1550年)に行われた妙見宮の遷宮の際、千葉親胤の参詣に従った臼井の一門の中に吉岡氏、山梨氏、蕨氏が挙げられている[2]

曲輪内の福星寺は、元和2年(1616年)の開基で、廃城後に建てられたものである。

同じ吉岡氏の居城と言われる木出城と関係の深い城である。木出城は谷津田を1つ越えた南約1キロメートルの地点にある[3]

構造

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東西・南北ともに約120メートルの単郭構造である。土塁は、郭内から比高3メートル前後と大規模であり、土塁と空堀が切れる箇所が3箇所ある。このうち南辺は、枡形状に空堀が屈曲し、外側にかざし状の土塁が存在することから、この部分が虎口と考えられている。土塁・空堀とも保存状態は良好で、ほぼ完全な形で残っている。

アクセス

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脚注

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  1. ^ a b 「四街道市内指定文化財一覧」四街道市公式HP
  2. ^ 千葉城郭研究会編『図説 房総の城郭』(国書刊行会、2002年)p88
  3. ^ 府馬清 『房総の古城址めぐり 下巻』 有峰書店新社、p140