福敬登
福 敬登(ふく ひろと、1992年6月16日[3] - )は、兵庫県神戸市垂水区出身[1][4]のプロ野球選手(投手)。左投左打[3]。中日ドラゴンズ所属。
中日ドラゴンズ #34 | |
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2022年4月16日 マツダスタジアム | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県神戸市垂水区 |
生年月日 | 1992年6月16日(32歳) |
身長 体重 |
181 cm 98 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2015年 ドラフト4位 |
初出場 | 2016年3月26日[1] |
年俸 | 3300万円(2025年)[2] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
編集プロ入り前
編集神戸市立小束山小学校[5]で軟式野球を始め、神戸市立多聞東中学校[5]では軟式野球部に所属していた[6]。野球部の1年後輩には桜井俊貴がいる[7]。
市立神戸西高校では県大会4回戦が最高成績だった。
高校卒業後はJR九州に入社。同社の野球部に所属し小倉駅の駅員を務めていた[8]。野球では1年目から公式戦で登板機会を与えられ、5年目の2015年には速球が最速150km/hを計測するようになった[6]。
2015年10月22日に行われたドラフト会議にて、中日ドラゴンズから4位指名を受け、契約金5000万円、年俸1000万円(金額は推定)という条件で入団した。入団の際には、自身と同じ左投手として、NPB一軍公式戦219勝という実績を残して現役を退いたばかりの山本昌から背番号34を継承することで注目された[9][10]。
中日時代
編集2016年は、中日のルーキーで唯一開幕から一軍登録され、3月26日の阪神タイガース戦(京セラドーム大阪)で中継ぎとしてプロ初登板[1]。5月7日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)では緊急降板したドリュー・ネイラーの後を投げ、4回2/3を1失点で初勝利を挙げた[11]。
2017年は、左肩を痛めた影響で、一軍公式戦では5試合の登板に終わった。11月19日には、左肩の治療へ専念する目的で、支配下選手契約から育成契約へ移行。推定年俸は300万円減の1000万円となった。背番号も234へ変更したが、球団では福が支配下登録選手へ復帰するまで、34を空番として扱う方針を示した[12]。
2018年は、春季キャンプ開始前日の1月31日付で、NPBから育成選手として公示された[13]。6月5日の二軍戦で実戦復帰し、その後は二軍戦で登板を重ね[14]、7月19日に支配下登録選手への復帰が球団から発表された[15]。背番号は再度34を背負った。9月28日の対阪神戦(ナゴヤドーム)で、4回表二死満塁の場面で一軍復帰登板を果たしたが、制球が定まらず、福留孝介に対してストレートの四球で押し出しを与えた[16]。結局一軍登板はこの1試合のみで、「復帰しても、ストライクが入らないピッチャーを雇うわけがない」と福は戦力外通告を覚悟していた[16]。みやざきフェニックス・リーグの最終日に沖縄の秋季キャンプのメンバーに選ばれたことが分かるまで、通告に怯えていたという[16]。秋季キャンプ後、推定年俸100万円減の900万円で契約を更改した[17]。
2019年、3月のオープン戦で結果を残せず、二軍で開幕を迎えたが、5月3日に一軍登録された[16]。6月20日のセ・パ交流戦、対埼玉西武ライオンズ戦(ナゴヤドーム)で西武打線を完全に抑え込んだことが自信につながり[18]、この年のシーズン終盤にはセットアッパーを任されるようになった[19]。最終的に、自己最多の52試合に登板して、18ホールド、防御率2.05と、チームでは貴重な中継ぎ左腕としてブルペンを支えた[20]。契約更改では1600万円増の推定年俸2500万円でサインした[20]。
2020年は、7回は祖父江大輔、8回は福、9回はライデル・マルティネスという救援陣による勝ちパターンが確立。9月6日時点で、6回終了時点でリードしていればほぼ負けなし(23勝2敗1分)であった[21]。福自身も8月は一度も失点しない好投を披露[22]。マルティネスが体幹コンディション不良により一軍登録を抹消となった後は、祖父江と交互にクローザーを務めるも、10月27日の阪神タイガース戦と10月31日の広島東洋カープ戦(ナゴヤドーム)[23]では、登板した2試合連続で敗戦投手になるなど、終盤に打ち込まれる場面が目立つようになる[24]。そのような背景もあり、セーブを記録した11月4日の横浜DeNAベイスターズ戦(ナゴヤドーム)では試合終了直後に涙を流した[25]こともあった。
最終的に53試合に登板して、5勝5敗25ホールド2セーブ、防御率3.55の成績を記録し、チームメイトの祖父江、東京ヤクルトスワローズの清水昇と共に、自身初となる最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した。オフに推定年俸4600万円(2100万円増)で契約更改[26]。
2021年はキャリアハイとなる57試合に登板し、2勝2敗、20ホールド、防御率3.18の成績を残し、オフの11月16日に1600万円増の年俸6000万円で契約更改した(金額は推定)。その直後の記者会見で、自身が登板して打たれた試合の後におびただしい数の殺害予告がSNSを通じて送られてくることを明かし、ファンへSNSマナーを訴えた[27]。
2022年は9試合の登板で防御率11.57と結果を残せず[28]、5月5日に二軍に降格[29]。6月21日に一軍に復帰し[28]、7月13日の東京ヤクルトスワローズ戦(バンテリンドーム ナゴヤ)で中継ぎ登板でシーズン初勝利を挙げた[30]。同年は中継ぎで36試合に登板したものの、シーズン終盤の9月17日に体調不良を訴え、翌日登録抹消された[31]。シーズンが終了後の10月25日に国指定の難病である黄色靱帯骨化症を発症し手術を受けたことが発表された[31][32]。11月6日に練習を再開した[33]ものの、球団は左の中継ぎが不足することを懸念し、砂田毅樹をトレードで獲得するまでに至った[34][35]。
2023年は、5月4日に一軍に昇格、翌5日の読売ジャイアンツ戦(バンテリンドーム ナゴヤ)に1点ビハインドの場面で登板し1回1安打無失点に抑え、直後にチームが逆転、復帰後初勝利を挙げた[36]。5月26日の対横浜DeNAベイスターズ戦(バンテリンドーム ナゴヤ)では1点リードの場面で登板し、佐野恵太と関根大気を連続で三振に仕留めてピンチを断つ。試合後のヒーローインタビュー中には自らお立ち台を降り、レフトスタンドに向かって福と同じ病気を患った三嶋一輝への感謝の言葉を述べた[37]。20試合に登板してたが、6月27日の対阪神戦で黄色靱帯骨化症の症状に近い左脚の違和感を覚えて途中降板し、翌28日に登録を抹消された。7月5日、二軍で実戦に復帰し[38]、9月6日に一軍に復帰した[39]。
人物
編集骨太の体格で、がに股気味の投球フォームが山本昌に似ていることから、JR九州への入社当初のニックネームは山本と同じく「マサ」だった[8]。2020年頃からは自身と祖父江大輔、ライデル・マルティネスのリリーフトリオで構成する勝利の方程式が、ファンや選手からそれぞれの名前の一部を合わせて「大福丸」と呼ばれている[40][41]。
中日への入団会見では、「長年レジェンドとして活躍した山本昌さんの背番号(34)を引き継ぐのは責任が重いけど、マイナスに考えず“やってやるぞ”という気持ち。“無理です”と言うようじゃプロでは通用しない」という表現で、左投手として「山本の後継者」と呼ばれるのにふさわしいほど活躍することを誓った[8]。その一方で、「(JR九州に駅員として勤務する)普段のように案内してください」というリクエストを報道陣から投げ掛けられると、背番号を織り込みながら「博多方面、特急列車ご利用のお客様にご連絡します。特急ソニック34号ご利用のお客様は4番乗り場にお越しください」というマイクパフォーマンスで会見場内の爆笑を誘った[8]。
当初「プロ野球選手は他人に頼ってはいけない」「自分で研究して、発見して、スタイルを築くもの」という考えを持っていたが、左肩の怪我での育成契約移行や復帰後の不甲斐ない登板内容で戦力外通告を覚悟した経験から、「もうなりふり構わず、何でも聞こうと思いました」と、2018年オフからは一軍投手コーチの阿波野秀幸に毎日のように会話を交わすようになった。その結果、後述の投球フォームを身に着けている[16]。
選手としての特徴
編集2018年オフに阿波野との相談の末、セットポジションの際、右足を一塁側に大きく踏み出して構えるフォームになった[16]。その後、2019年シーズン中のセ・パ交流戦で和田毅や比嘉幹貴の投球を見学した末に、和田のようにテイクバックを体に隠し、比嘉のように腕を下げ、1足分インステップして投げるフォームになった[16][18]。 このフォームによって、右打者の内角に厳しく投げ込みやすくなったといい、2019年は対右打者相手に被打率.158という結果が出ている。対右打者の被打率は50イニング以上投げた左の中継ぎ投手の中では2位の好成績である[19]。一方で対左打者は被打率.256と打ち込まれており、左打者の内角を突けるスクリューボールやツーシームの習得に励んでいる[44][45]。
2018年に着用していた背番号234は、2007年にエンリケ・ラミレスが着用していた背番号222を超え、現役選手の背番号としては史上最大である。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2016 | 中日 | 27 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 4 | .333 | 186 | 43.1 | 42 | 1 | 18 | 0 | 3 | 31 | 2 | 0 | 26 | 23 | 4.78 | 1.38 |
2017 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 27 | 5.2 | 8 | 2 | 2 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 6 | 5 | 7.94 | 1.76 | |
2018 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 2 | 0.1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 3.00 | |
2019 | 52 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 18 | 1.000 | 216 | 52.2 | 39 | 3 | 16 | 0 | 2 | 53 | 0 | 0 | 13 | 12 | 2.05 | 1.03 | |
2020 | 53 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 5 | 2 | 25 | .500 | 217 | 50.2 | 43 | 4 | 23 | 0 | 1 | 39 | 1 | 0 | 24 | 20 | 3.55 | 1.30 | |
2021 | 57 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 20 | .500 | 185 | 45.1 | 37 | 4 | 15 | 2 | 3 | 38 | 1 | 0 | 16 | 16 | 3.18 | 1.15 | |
2022 | 36 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 3 | .500 | 123 | 27.2 | 25 | 3 | 12 | 2 | 2 | 25 | 1 | 0 | 15 | 14 | 4.55 | 1.34 | |
2023 | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 12 | 1.000 | 76 | 17.2 | 12 | 1 | 8 | 2 | 1 | 15 | 0 | 0 | 8 | 5 | 2.55 | 1.13 | |
通算:8年 | 260 | 1 | 0 | 0 | 0 | 13 | 11 | 2 | 82 | .542 | 1032 | 243.1 | 206 | 18 | 95 | 6 | 12 | 208 | 5 | 0 | 108 | 95 | 3.51 | 1.24 |
- 2023年度シーズン終了時
年度別守備成績
編集年 度 |
球 団 |
投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2016 | 中日 | 27 | 0 | 7 | 0 | 0 | 1.000 |
2017 | 5 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
2018 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | |
2019 | 52 | 1 | 9 | 0 | 0 | 1.000 | |
2020 | 53 | 1 | 9 | 2 | 1 | .833 | |
2021 | 57 | 3 | 6 | 0 | 0 | 1.000 | |
2022 | 36 | 0 | 5 | 0 | 0 | 1.000 | |
2023 | 29 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
通算 | 260 | 5 | 40 | 2 | 1 | .957 |
- 2023年度シーズン終了時
タイトル
編集- 最優秀中継ぎ投手:1回(2020年)
記録
編集- 初記録
- 投手記録
- 初登板:2016年3月26日、対阪神タイガース2回戦(京セラドーム大阪)、8回裏二死に5番手で救援登板・完了、1/3回無失点[1][46]
- 初先発登板:2016年3月31日、対広島東洋カープ3回戦(ナゴヤドーム)、3回2/3を5失点で勝敗つかず
- 初奪三振:同上、4回表に石原慶幸から見逃し三振
- 初勝利:2016年5月7日、対読売ジャイアンツ5回戦(東京ドーム)、1回裏一死に2番手で救援登板、4回2/3を1失点
- 初ホールド:2016年5月10日、対横浜DeNAベイスターズ7回戦(横浜スタジアム)、6回裏に2番手で救援登板、1回無失点
- 初セーブ:2020年10月21日、対横浜DeNAベイスターズ20回戦(ナゴヤドーム)、9回表に4番手で救援登板・完了、1回無失点
- 打撃記録
- 初安打・初打点:2016年5月7日、対読売ジャイアンツ5回戦(東京ドーム)、2回表に今村信貴から一塁適時内野安打
背番号
編集- 34(2016年 - 2017年、2018年7月19日 - )
- 234(2018年 - 2018年7月18日)
登場曲
編集脚注
編集出典
編集- ^ a b c d 「【中日】ドラ4福、ド緊張でプロ初登板「めちゃくちゃ力みました」」『スポーツ報知』2016年3月26日。2016年9月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年1月30日閲覧。
- ^ 「中日 - 契約更改 - プロ野球」日刊スポーツ。2024年11月15日閲覧。
- ^ a b 「福 敬登(中日ドラゴンズ) | 個人年度別成績」NPB.jp 日本野球機構。2022年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月4日閲覧。
- ^ 「【中日】福、熊本駅勤務の先輩に物資送る」『スポーツ報知』2016年4月19日。2016年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年1月30日閲覧。
- ^ a b 選手名鑑 福 敬登(投手) 中日ドラゴンズ 公式サイト 2017年2月1日閲覧。
- ^ a b 「山本昌宏の背番号34を受け継いだ男、福敬登」『Baseball Crix』2016年8月29日。2017年2月3日閲覧。
- ^ 「始動初日に2ケタ勝利宣言 巨人ドラ1桜井は“持ってる男”」『日刊ゲンダイDIGITAL』2016年1月4日。2017年1月30日閲覧。
- ^ a b c d 「元JR駅員の中日・福 入団会見で爆笑アナウンス」『スポーツニッポン』2015年12月12日。2024年3月4日閲覧。
- ^ 「2015年ドラフト指名選手入団発表」『中日ドラゴンズ 公式サイト』2015年12月11日。2015年12月14日閲覧。
- ^ 「中日、山本昌の背番号「34」を準永久欠番扱いしなかったことの是非」Yahoo!ニュース(THE PAGE)、2015年12月12日。2022年3月28日閲覧。
- ^ 「中日・ドラ4福、緊急登板でプロ初勝利」『デイリースポーツ』2016年5月7日。2016年5月7日閲覧。
- ^ 「福、育成で契約 34番空けて待つ」『中日スポーツ』中日新聞社、2017年11月20日。2017年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月13日閲覧。
- ^ 「2018年度 育成選手登録(中日ドラゴンズ) | 2018年度公示」『日本野球機構』。2024年3月4日閲覧。
- ^ 「福、復活手応え 9ヶ月振り登板1イニング無失点」『中日スポーツ』中日新聞社、2018年6月6日。2018年9月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月22日閲覧。
- ^ 「中日・福 育成選手から再び支配下登録 左肩の治療経て「結果を第一に求めてきた」」『スポーツニッポン』2018年7月19日。2024年3月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g 若狭敬一「“クビを覚悟した男”中日・福敬登 ヤクルト村上に打たれたホームランで彼は変わった」『文春オンライン』2019年8月21日、1頁。2020年9月21日閲覧。
- ^ 「中日福は100万減「岩瀬さんが抜けたので…」」『日刊スポーツ』2018年11月23日。2020年9月21日閲覧。
- ^ a b 若狭敬一「“クビを覚悟した男”中日・福敬登 ヤクルト村上に打たれたホームランで彼は変わった」『文春オンライン』2019年8月21日、2頁。2020年9月21日閲覧。
- ^ a b 「左の変則派リリーバー・福敬登はなぜ右打者を「制圧」できたのか?:達人に訊け!」『中日新聞Web』2020年2月29日。2020年9月21日閲覧。
- ^ a b 「中日・福 大幅1600万UP2500万円でサイン「抑えて当たり前の投手に」」『Sponichi Annex』2019年11月29日。2020年9月21日閲覧。
- ^ 「継続した中日の“鉄壁神話” 祖父江、福、Rマルの救援陣安定で6回終了時点にリードしていれば1分け挟んで15連勝」『中日スポーツ』2020年9月6日。2020年9月21日閲覧。
- ^ 「8月防御率0.00の中日・福が巨人岡本バットへし折り9試合連続無失点」『中日スポーツ』2020年8月30日。2020年9月21日閲覧。
- ^ 「中日 今季最長の5連敗… 1点リードの8回に福がまさかの6失点 Aクラスへ残り6試合正念場」『中日スポーツ・東京中日スポーツ』中日新聞社、2020年10月31日。2022年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月4日閲覧。
- ^ 「中日・福敬登の涙にもらい泣き…“アツい男”はチームに貢献できるなら「キャッチャーだってやる」」『中日スポーツ・東京中日スポーツ』中日新聞社、2020年11月5日。2022年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月4日閲覧。
- ^ 「中日・福 9回3人切りに男泣き 4試合連続失点の悔しさ晴らす熱投に与田監督も「疲れている中でよく頑張った」」『中日スポーツ・東京中日スポーツ』中日新聞社、2020年11月4日。2022年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月4日閲覧。
- ^ 「1度目保留の中日・福敬登、笑顔見せ「疑問点は解決された」2100万円増の4600万円でサイン」『中日スポーツ・東京中日スポーツ』中日新聞社、2020年12月4日。2022年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月4日閲覧。
- ^ 「【中日】福敬登は1400万増でサイン 一方でSNSのマナー訴える「僕たちを助けて」 過去には殺害予告も」スポーツ報知、2021年11月16日。2024年1月3日閲覧。
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- ^ 「【中日】京田陽太と福敬登の出場選手登録を抹消、代わって三ツ俣大樹と予告先発の福谷浩司を登録」『中日スポーツ・東京中日スポーツ』中日新聞社、2022年5月5日。2022年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月4日閲覧。
- ^ 「【中日】福敬登が1イニング無失点 直後逆転で今季初白星「木下さんに助けて頂いた」バント併殺に感謝」『中日スポーツ・東京中日スポーツ』中日新聞社、2022年7月13日。2022年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月4日閲覧。
- ^ a b 「【中日】福敬登が手術 国指定の難病「黄色靱帯骨化症」で」『中日スポーツ・東京中日スポーツ』中日新聞社、2022年10月25日。2022年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月4日閲覧。
- ^ 「【中日】福敬登が国指定の難病手術「胸椎黄色靱帯骨化症」 DeNA三嶋一輝も8月に同手術」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2022年10月25日。2022年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月4日閲覧。
- ^ 「【中日】福敬登、難病・黄色靱帯骨化症の手術から練習再開 「全然、大丈夫です」笑顔」『中日スポーツ・東京中日スポーツ』中日新聞社、2022年11月6日。2022年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月4日閲覧。
- ^ 「DeNAから移籍の砂田毅樹が入団会見、背番号は『39』 「もう一度やり直すチャンスいただいた」【中日】」『中日スポーツ・東京中日スポーツ』中日新聞社、2022年11月25日。2022年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月4日閲覧。
- ^ 「【中日】砂田毅樹が入団会見「やり直すチャンスいただけた」背番「39」大野雄大に弟子入り希望」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2022年11月25日。2022年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月4日閲覧。
- ^ 「難病から見事な復帰勝利!家族の前で力投!中日・福「巨人ファンの皆様からも拍手。ありがとうございます」」『スポニチ Sponichi Annex』2023年5月5日。2023年5月5日閲覧。
- ^ 「【中日】異例のお立ち台「黄色靱帯骨化症」から復帰の福敬登がDeNAファンと三嶋に感謝」『日刊スポーツ』。2023年5月26日閲覧。
- ^ 「福敬登が実戦復帰 難病との戦いも前向き「チームの財産にもなります」」『ドラゴンズ情報』2023年7月7日。2023年9月8日閲覧。
- ^ 「福敬登と福永裕基が1軍合流 ともにウエスタン・リーグ12試合に出場【中日】」『中日スポーツ』2023年9月6日。2023年9月8日閲覧。
- ^ 「中日・鉄壁リリーフトリオの愛称は「大福丸」」『東京スポーツ』2020年10月26日。2021年9月27日閲覧。
- ^ 「中日、遅すぎた方程式「大福マル」の確立…開幕時守護神・岡田の不振で背負った借金が最後まで響く【ドラゴンズ総括】」『中日スポーツ・東京中日スポーツ』2020年12月18日。2021年9月27日閲覧。
- ^ 「中日福敬登が結婚「妻のためにも頑張ります」」『日刊スポーツ』2019年3月5日。2024年3月4日閲覧。
- ^ 「【中日】福敬登に第一子の女児が誕生「かわいい娘のためにも一生懸命頑張ります」」『スポーツ報知』2020年6月26日。2020年9月21日閲覧。
- ^ 「中日・福、山本昌氏直伝「スクリュー」猛特訓 自身の“伝家の宝刀”に」『Sponichi Annex』2019年12月13日。2020年9月21日閲覧。
- ^ 「福「左打者の内角えぐる」 Jロッドから伝授のツーシームに磨き」『中日スポーツ』2019年11月6日。2019年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月21日閲覧。
- ^ 「2016年3月26日 【公式戦】 試合結果 (阪神vs中日)」NPB.jp 日本野球機構。2022年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月4日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 福敬登 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube
- 選手名鑑 - 中日ドラゴンズ公式サイト
- 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE