福島正晴
福島 正晴(ふくしま まさはる)は、江戸時代前期の大和国宇陀松山藩の世嗣。通称は岩松、修理。後に福島高経(ふくしま たかつね)と名乗った。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 寛永17年5月8日(1640年6月27日) |
改名 | 正晴、高経 |
別名 | 岩松、修理(通称) |
戒名 | 傑岩道英 |
藩 | 大和宇陀松山藩世嗣 |
氏族 | 福島氏 |
父母 | 福島高晴、村井貞勝娘 |
兄弟 |
正晴、高広、玄興院、五条為適正室、 仏照寺某室、藤堂雅久室、助六 |
妻 | 村井氏 |
子 | 忠政 |
生涯
編集慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、父・高晴は戦功を賞されて大和宇陀松山30,000石に加増移封された。正晴は本来その後を継ぐはずだったが、慶長20年(1615年)に父が大坂夏の陣において豊臣秀頼に内通(密かに兵糧を大坂城に入れていた説あり)していた嫌疑をかけられて改易され、父に連座して伊勢国山田に移り住んだ。
寛永17年(1640年)、同地において寺田将監という人物と争いを起こし、弟・高広と共に寺田を殺害した。その後、弟と共に切腹した。法名は傑岩道英。