福原熙賢

長州藩永代家老・宇部領主福原家22代。福原房純の嫡子

福原 熙賢(ふくばら ひろかた、文化2年(1805年) - 天保7年1月10日1836年2月26日))は、長州藩永代家老・宇部領主福原家22代。

父は福原房純。祖父は徳山藩主毛利就馴。実弟に宍戸元礼がいる。正室は毛利広鎮(房純の実弟)の娘(福原元僴の姉)。子は福原親俊通称繁次郎。

生涯

編集

文化2年(1805年)、長州藩家老福原房純の長男として生まれる。当時福原家には、養嗣子として迎えられた、第8代藩主・毛利重就の孫の福原房昌(のちの毛利斉元)がいた。文化11年(1814年)、義兄の房昌が藩主毛利斉熙の養子となり藩主家に戻ったため、父の嫡子と定められる。斉熙の偏諱を受け、熙賢と名乗る。天保7年(1836年)1月2日、父房純が死去し、10日に熙賢も急死した。享年32。家督は子の親俊が相続した。

参考文献

編集
  • 「宇部市史」