福光大火

1979年に富山県福光町で発生した火災

福光大火(ふくみつたいか)は1979年昭和54年)4月11日富山県西礪波郡福光町(現:南砺市)で発生した大規模火災である。福光町では明治以来の大火となった[4]

福光大火
現場 日本の旗 日本富山県西礪波郡福光町(現:南砺市
発生日 1979年昭和54年)4月11日[1]
15時47分頃[2]
類焼面積 14,214m2[2]
原因 製材所の溶接の火花が近くの木材やクズに燃え移ったことによるもの[1]
死者 なし
負傷者 41人[3]

概要

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1979年4月11日15時47分頃、福光町547-1の瀬川製材所の2階付近から出火し同工場を全焼[注 1]、その後近隣の日本抵抗器福光工場などの工場などにも延焼し、やがて小矢部川沿いの民家にも延焼範囲が拡大。当時この一帯は木造住宅が密集していたこともあり、大火となった[1][2]

当日は南西の風8 - 15メートルの医王山おろしの強風が吹いており、湿度も35%しかない春先のフェーン現象の状態であった。富山地方気象台は当日5時20分頃に異常乾燥注意報および火災気象通報を発令しており、福光町も9時に火災警報を出していた[1][2]

15時54分頃に最初の119番通報を受け、福光町消防署員が現場に出動し、15時56分頃に水利部所に到着して消火活動を開始した[2]。地元の福光町消防本部を始め東礪波郡、西礪波郡、富山市高岡市射水郡新湊市氷見市小矢部市福岡町など周辺自治体から消防車が駆け付け消火にあたり、19時30分に火勢が鎮圧[2]、20時過ぎに火災が下火になり、21時5分に鎮火した。延焼範囲の住民は現場から約400m風上の福光中部小学校に避難した[1]

この火災により、富山県は22時30分に災害救助法を適用することになった[1]。福光町も、避難所や救護所を開設した[2]他、450万円の災害救助対策費の支出を決めた[4]。翌4月12日には、福光町長は富山県に自衛隊の派遣を要請した[2]

被害

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  • 負傷者:41人(いずれも軽傷)116戸[3][2]
  • 焼損件数:全焼42世帯、半焼15世帯、計57世帯(116棟全半焼)[2][3]
  • 焼損面積:14,214m2[2]
  • 被害額:12億910万円[2]
  • 罹災世帯:57世帯242人[2]

復興事業

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1979年9月20日、被災区域の区画整理の修祓式が行われた[5]

脚注

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注釈
  1. ^ 富山県警察によると、出火元の製材所の従業員3人が階下で休憩中に、溶接の火花が近くの木材やクズに燃え移ったと見られている[1]
出典
  1. ^ a b c d e f g 北日本新聞』1979年4月12日付1面『強風下 福光町で大火』より。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 福光大火 (54.4.1)の概況とその対応策(富山県消防防災課、2021年10月4日閲覧)
  3. ^ a b c 福光町『合併五十周年記念誌 福光町の歩み』福光町役場企画情報課、1970年、p28-29。
  4. ^ a b 『富山新聞』1979年4月12日付1面『福光町で大火』より。
  5. ^ 『北日本新聞』1979年9月21日付朝刊19面『大火復興つち音響く 福光 区画整理事業に着手 総工費5億5500万円 被災地で住宅や道路』より。

関連項目

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