福住村 (奈良県)
日本の奈良県山辺郡にあった村
福住村(ふくすみむら)は奈良県北西部、山辺郡に属していた村。現在は天理市の東部、名阪国道福住インターチェンジ付近。
ふくすみむら 福住村 | |
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廃止日 | 1954年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 山辺郡丹波市町、朝和村、福住村、二階堂村、磯城郡柳本町、添上郡櫟本町 → 天理市 |
現在の自治体 | 天理市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 奈良県 |
郡 | 山辺郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,379人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 奈良県:山辺郡丹波市町、都介野村、針ヶ別所村、添上郡五ヶ谷村、田原村、磯城郡上之郷村 |
福住村役場 | |
所在地 | 奈良県山辺郡福住村大字福住 |
座標 | 北緯34度36分41秒 東経135度54分56秒 / 北緯34.61147度 東経135.91561度座標: 北緯34度36分41秒 東経135度54分56秒 / 北緯34.61147度 東経135.91561度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集歴史
編集前近代
編集古代には闘鶏(つげ)国造の領域[2]。『延喜式』に記載された都介(闘鶏)氷室があり[2]、この氷室をめぐる神社として氷室神社がある。この氷室は『日本書紀』仁徳天皇62年条によれば、額田大中彦皇子が猟の際に発見したとされている。
中世に「福須美庄」という地名が現れるようになるが、由来は不明である[1]。中世には、福住に福住氏(福住中定城、福住井之市城を構えた)、山田に山田氏が勢力を有した。戦国期、山田岩掛城主の山田道安(山田順貞)は、東大寺大仏殿の戦いで被害を受けた東大寺大仏の修復に寄与した人物で[2]、画家としても知られる[2]。
近代
編集行政区画・自治体沿革
編集名所・旧跡・祭事
編集教育
編集交通
編集- 主要地方道田原本上野線
人物
編集おもな出身者
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 奈良県山辺郡福住村 (29B0070008) - 歴史的行政区域データセットβ版