神山郡昭
明治から昭和期の政治家、華族
神山 郡昭(こうやま くにてる、1855年3月27日(安政2年2月10日[1])- 1943年(昭和18年)9月1日[1][2])は、明治から昭和期の政治家、華族。貴族院男爵議員。
神山郡昭 こうやま くにてる | |
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生年月日 | 1855年3月27日 |
没年月日 | 1943年9月1日(88歳没) |
出身校 | 彦根県立学校 |
所属政党 | 公正会 |
配偶者 |
神山秋子 神山ひさ 神山シユン |
子女 | 次男・神山嘉瑞 |
親族 | 父・神山郡廉(和歌山県令) |
在任期間 | 1911年7月10日 - 1932年7月9日 |
経歴
編集土佐藩士・神山郡廉の二男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1909年(明治42年)9月22日、男爵を襲爵した[1][3][5]。
高知藩立学校で漢学を修め、彦根県立学校で英学を学んだ[2]。1911年(明治44年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[6][7]、公正会に属して活動し、1932年(昭和7年)7月9日まで3期在任した[2]。同年7月21日に隠居し[8][注 1]、家督は二男神山嘉瑞が継承した[1]。
親族
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、587頁では7月20日。
出典
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。
日本の爵位 | ||
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先代 神山郡廉 |
男爵 神山(郡廉)家第2代 1909年 - 1932年 |
次代 神山嘉瑞 |