神尾茂

日本の衆議院議員

神尾 茂(かみお しげる、1883年明治16年)7月29日[1] - 1946年昭和21年)5月10日[2])は、日本の衆議院議員ジャーナリスト

神尾茂

経歴

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福島県石川郡川東村(現在の須賀川市)出身[3]1906年(明治39年)に早稲田大学政治経済科を卒業し、1909年(明治42年)に東亜同文書院商務科を卒業した[3]大阪朝日新聞社南京通信員となり、上海特派員、北京特派員を歴任した[3]。さらに大阪朝日新聞社の支那部長、東亜部長、編集局顧問、論説委員を務めた[4]。また陸軍梅機関(影佐禎昭機関)に配属され、大使館嘱託も兼ねた[3]

1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙翼賛政治体制協議会の推薦を得て福島2区(当時)から出馬し、当選を果たした。戦後、推薦議員のため公職追放となり[5]、追放直後の1946年(昭和21年)に死去した。

その他に大陸新報社顧問、大阪東方文化聯盟理事[3]、大日本興亜同盟運動第三局第四部長を務めた[6]

脚注

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  1. ^ 衆議院『第八十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1942年、19頁。
  2. ^ 『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』
  3. ^ a b c d e 『衆議院議員略歴』
  4. ^ 『早稲田大学紳士録』p.246
  5. ^ 『朝日新聞』1946年2月10日一面
  6. ^ 『人事興信録』

参考文献

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  • 早稲田大学紳士録刊行会編『早稲田大学紳士録』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。 
  • 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。