神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校
神奈川県横浜市中区にある高等学校
(神奈川県立横浜緑ヶ丘高等学校から転送)
神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校(かながわけんりつ よこはまみどりがおかこうとうがっこう)は、神奈川県横浜市中区本牧緑ケ丘にある公立高等学校。通称は「緑高」(りょっこう)。
神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校 | |
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北緯35度25分27.00秒 東経139度39分09.10秒 / 北緯35.4241667度 東経139.6525278度座標: 北緯35度25分27.00秒 東経139度39分09.10秒 / 北緯35.4241667度 東経139.6525278度 | |
過去の名称 |
神奈川県立横浜第三中学校 神奈川県立横浜第三高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 神奈川 |
設立年月日 | 1923年 |
創立記念日 | 5月17日 |
共学・別学 | 共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | D114210010080 |
高校コード | 14105E |
所在地 | 〒231-0832 |
外部リンク | 横浜緑ケ丘高等学校トップページ |
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概要
編集1923年(大正12年)1月に横浜第三中学校として創立。旧学区制度では横浜臨海学区に属した。2013年に創立90周年を迎えた。
横浜市中心部の南側に位置する本牧地区にあり、横浜スタジアムや中華街などに近い。校舎から横浜ベイブリッジや、晴れた日には富士山や房総半島も望める。
初代校長が掲げた“三徳一誠”(知・仁・勇・誠)の教育理念の下、偏りのないバランスのとれた人間の育成を目指している。校則はほとんどなく、自由でのびのびとした校風であり、生徒手帳はない。
定時制のない高校では珍しく、食堂を有する。旧校舎はいずれも築40年以上が経過し、耐震性に課題があることから本館及び北館については建替えを、西館については耐震補強改修工事を実施した。2014年に竣工した新校舎は南館と称する。
文化祭は「緑高祭(りょっこうさい)」と呼ばれ[1]、かつては文化の日前後に行われていたが、近年は毎年6月末から7月初めに開催される。
後援組織として旧制中学時代から「後援三徳会」が組織されているため、敗戦後にGHQからPTA結成の強い勧告を受けつつも、神奈川県下の公立高等学校の中で本校にのみPTAが設置されず[2]、現在もそれが続いている。後援組織であるため、2000年代前半までは地域の名士が役員に名を連ねていたが[3]、2000年代中ごろ以降は生徒の保護者によって運営されるようになった。
同窓会は「牧陵会」と称する。
沿革
編集- 1923年(大正12年) - 県令をもって校名を神奈川県立横浜第三中学校とする。(県立の旧制中学として県下では7番目)
- 1923年 - 開校。県立商工実習学校で授業開始
- 1924年 - 現在地に移転
- 1945年(昭和20年) - 戦災により校舎が全焼
- 1945年12月から1952年5月まで校地が米軍に接収され、第108墓地登録小隊に使用される。[4]
- 1948年 - 神奈川県立横浜第三高等学校(全日制普通科)と改称。校地の接収が一部解除され、復旧校舎が竣工
- 1950年 - 神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校(全日制普通科、男女共学)と改称。小学区制導入
- 1960年 - 鉄筋コンクリート造りの新校舎(本館・北館)の落成記念式挙行
- 1962年 - 水泳プール竣工
- 1963年 - 横浜市内に中学区制施行、横浜南部学区(本校の他、南、金沢、立野)に属す。
- 1964年 - 図書館棟竣工(現・東館)
- 1966年 - 食堂竣工
- 1969年 - 西館竣工
- 1974年 - 体育館兼講堂竣工
- 1981年 - 新学区制実施、横浜臨海学区に属す。
- 2005年(平成17年) - 学区制廃止
- 2009年 - 全教室にエアコン設置、全校生徒のTOEIC受験が始まる。
- 2010年 - 神奈川県教育委員会から「学力向上進学重点校」に指定
- 2014年 - 入学者選抜に特色検査を導入。南館竣工。45分・7時間授業に移行
- 2015年 - 西館耐震改修工事終了。事務室、校長室、職員室等が西館に移転。同時に本館と北館の使用を中止
- 2017年 - 50分・6時間(週2回は7時間)授業に移行
- 2019年 - 大学入試改革を受け、TOEIC全校受験がGTEC全校受験に変わる。
- 2020年 - 本館と北館除去工事完了
- 2022年 - スーパーサイエンスハイスクールに指定される。[5]
- 2024年 - 神奈川県教育委員会から学力向上進学重点校に再指定。新体育館竣工予定
アクセス
編集部活動
編集著名な出身者
編集五十音順
政治・行政
編集経済・経営
編集- 上野豊 - 元上野トランステック代表取締役会長、元横浜商工会議所会頭(旧制横浜第三中学校)
- 金重辰雄 - 日本動物高度医療センター創業者・元代表取締役社長
- 柴田拓美 - 日興アセットマネジメント代表取締役社長
- 鈴木幸一 - インターネットイニシアティブ代表取締役会長、文化功労者[6]
- 玉井孝直 - ジョンソン・エンド・ジョンソン代表取締役社長
- 吉田智誉樹 - 四季株式会社代表取締役社長
- 綱川明美 - 株式会社ビースポーク代表取締役社長
学術・研究
編集- 岩田一男 - 英文学者、元一橋大学教授(旧制横浜第三中学校)
- 榎一雄 - 東洋史学者、東京大学名誉教授(旧制横浜第三中学校)
- 北沢猛 - 都市計画家、元東京大学大学院新領域創成科学研究科教授
- 木村草太 - 憲法学者、東京都立大学大学院教授
- 小秋元段 - 国文学者、法政大学教授
- 曽我朋義 - 分析化学者、生命科学者、慶應義塾大学環境情報学部教授、先端生命科学研究所教授、医学部教授(兼担)
- 中村格子 - 整形外科医、医学博士
- 西村卓也 - 地球科学者、京都大学防災研究所教授
- 西村弘行 - 農学者、元北海道東海大学学長、元北翔大学学長
- 平沢正規 - 天文学者、教員
- 間野義之 - びわこ成蹊スポーツ大学学長、早稲田大学名誉教授、元横浜市教育委員[7]
- 山本草二 - 国際法学者(旧制横浜第三中学校)
- 横須賀薫 - 教育学者、元宮城教育大学学長、元十文字学園女子大学学長
- 吉田栄夫 - 自然地理学者、元南極観測隊隊長(旧制横浜第三中学校)
- 根本泰雄 - 地震学者、立命館大学理工学部教授
文化・芸能
編集- 池田勝 - お笑い芸人(ジグザグジギー)[8]
- 井田邦明 - 舞台演出家、演劇教育者
- 小玉武 - 編集者、文筆家
- 佐藤さとる - 童話作家(旧制横浜第三中学校)
- 佐野浅夫 - 俳優(旧制横浜第三中学校)
- 篠崎絵里子 - 脚本家
- 滝田周 - ミュージシャン(サンドクロック)[9]
- デイヴ平尾 - ミュージシャン
- 唐順棋 - 映画監督(旧制横浜第三中学校)
- 新村晋 - お笑い芸人(横浜ヨコハマ)[10]
- 春口裕子 - 小説家
- 古川凱章 - ライター、雀士
- 古川彰悟 - お笑い芸人(サスペンダーズ)[11]
- 益岡徹 - 俳優
- 松山善三 - 映画監督、脚本家(旧制横浜第三中学校)
- Mummy-D - ラッパー(RHYMESTER、マボロシ)
- みづき水脈 - 漫画家
- 安岡卓治 - 映画プロデューサー、日本映画大学教授
- よしまさこ - 漫画家、東京工芸大学教授
- 吉野裕之 - 歌人、俳人
- ランキンタクシー - レゲエミュージシャン
マスメディア
編集- 岩佐英治 - 元NHKアナウンサー
- 江上英樹 - 漫画編集者
- 金城茉里奈 - 北海道放送アナウンサー
- クリス智子 - ラジオパーソナリティ
- 太勇次郎 - NHK国際部記者
- 吉川典雄 - 札幌テレビアナウンサー
- 今野忍-朝日新聞政治部記者
スポーツ
編集- 唐井直 - 元サッカー選手
- 小島一平 - 元バドミントン選手、1972年ミュンヘンオリンピック日本代表[12]
- 田中衆史 - 元フィギュアスケート選手、1998年長野オリンピックアイスダンス日本代表[13]
- 松浦敏夫 - 元サッカー選手、元日本代表
- 望月さやか - ハンドボール選手、元プレステージ・インターナショナル アランマーレ所属
その他
編集- 遠山美枝子 - 日本の革命家、共産主義者同盟赤軍派メンバー
脚注
編集- ^ “緑高祭”. 神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校. 2021年11月16日閲覧。
- ^ これは、校地の接収解除を求める運動に地域の名士が数多く関わっており、そのメンバーが後援三徳会の会員と重なっていたためだと思われる。GHQに対してはPTAと名乗りつつも実際は後援三徳会のままで、保護者以外の会員を加えた旧来からの組織を温存することに成功した。(『横浜三中・三高・緑高六十年史』282~285頁)
- ^ 新制高校発足後に於ても、ホテルニューグランド会長、横浜商工会議所会頭を歴任した野村洋三や、貴族院議員、ラジオ関東社長を歴任した磯野庸幸が理事長を務めている。(『横浜三中・三高・緑高六十年史』536頁)
- ^ 1948年12月23日には、巣鴨プリズンで処刑された直後のA級戦犯7名の遺体が運び込まれ、火葬されるまで約5時間安置された。 『A級戦犯、太平洋に散骨 米軍将校の報告文書発見』 日本経済新聞
- ^ “スーパーサイエンスハイスクール(SSH) 令和4年度基礎枠 及び 科学技術人材育成重点枠 内定校”. 文部科学省. 2024年9月24日閲覧。
- ^ 令和2年度 文化功労者 文部科学省
- ^ プロフィール / 間野義之 ノット・コミュニケーションズ
- ^ (日本語) #35【灰色の3年間】友達が1人もいない出身高校にどこまで近づけるか 後編【サスペンダーズ】 2021年12月20日閲覧。
- ^ 6月にメジャーデビューしたアコースティックユニット「サンドクロック」の 滝田周さん タウンニュース
- ^ 横浜人図鑑 第57回 横浜ヨコハマ 上仲誠彦・新村晋 2022年1月6日閲覧。
- ^ (日本語) #34【灰色の3年間】友達が1人もいない出身高校にどこまで近づけるか 前編【サスペンダーズ】 2021年12月20日閲覧。
- ^ 1972年ミュンヘンオリンピックのバドミントン競技
- ^ 長野五輪ニュース 信濃毎日新聞
関連項目
編集外部リンク
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