神和村
日本の愛媛県温泉郡にあった村
神和村(じんわむら)は愛媛県風早郡のち温泉郡にあった村である。
じんわむら 神和村 | |
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廃止日 | 1959年3月31日 |
廃止理由 |
合併 中島町・神和村 → 中島町 |
現在の自治体 | 松山市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 温泉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,884人 (1955年) |
神和村役場 | |
所在地 | 愛媛県温泉郡神和村大字元怒和字郷の内 |
座標 | 北緯33度58分33秒 東経132度32分31秒 / 北緯33.97578度 東経132.54189度座標: 北緯33度58分33秒 東経132度32分31秒 / 北緯33.97578度 東経132.54189度 |
ウィキプロジェクト |
1959年(昭和34年)3月31日に中島町[注釈 1]と合併して、地方自治体としてはその歴史を閉じた。忽那諸島のうち最も西北部に位置する離島(愛媛県でも最も西北部)で、対岸は北は広島県、西は山口県である。現在は行政区画として松山市に属する。
地域の詳細はそれぞれの島の記事を参照。
地理
編集愛媛県と広島県・山口県との県境に位置する津和地島、怒和島、二神島、由利島ほかからなる離島の集合体。なお、現在では由利島は無人島となっている。
怒和島の元怒和にある郵便局が「神和郵便局」となっているように、現在でも中島本島[注釈 2]の西部に位置する島しょ地域を総称する場合「神和」と呼ぶことがある。これらの島々を結ぶ中島汽船のフェリーも船名はじんわとなっている(2006年進水)。
村名の由来
編集合併した旧村の字のうち「神」と「和」を合体させたもの。合成地名。古くは「かんなむら」とも読んだ。
社会
編集地域・集落
編集合併前の旧4か村をそれぞれ大字とし、中島町になっても受け継がれた。
行政
編集- 行政区域
- 神和村→中島町→松山市と変遷。
- 庁舎
- 怒和島の大字元怒和においた。
- 歴代村長
人口
編集- 明治37年 750戸、4391人
- 明治44年 804戸、4548人
- 大正10年 802戸、4718人
- 昭和9年 834戸、4567人
- 昭和23年 1045戸、5256人
- 昭和30年 4884人
- 参考
- 2020年(令和2年) 338世帯、588人
- 島別 津和地島 124世帯、225人 怒和島 153世帯、278人 二神島 61世帯、85人 なお由利島は無人島
沿革
編集- 1889年(明治22年)12月15日 - 町村制施行により、風早郡上怒和村、津和地村、二神村、元怒和村の区域をもって成立。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 風早郡が温泉郡に編入され、同郡の所属となる。
- 1959年(昭和34年)3月31日 - 中島町と新設合併し、改めて中島町が発足。同日神和村廃止。
神和村の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) (昭和の合併) (平成の合併) 町村制施行時 元怒和━━━━┓ 津和地━━━━┫ 二神 ━━━━╋━━━神和村━━━━━━━━━━━┓ 上怒和━━━━┛ ┃昭和34年3月31日 大浦 ━━━━┓ ┃ 合併 小浜 ━━━━┫ あ ┣━中島町━━┳━┳━━┓ 長師 ━━━━╋━━━東中島村━━━中島町━━━━┛ い┃ ┃ ┃ 宮野 ━━━━┫ ┃ ┃ ┃ 神浦 ━━━━┛ ┃ ┃ ┃ 野忽那━━━━┓ ┃ ┃ ┃ ┣━━━睦野村━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃ ┃ 睦月 ━━━━┛ ┃ ┃ 粟井 ━━━━┓ う┃ ┃ 畑里 ━━━━┫ ┃ ┃ 饒 ━━━━╋━━━西中島村━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃ 吉木 ━━━━┫ ┃ 熊田 ━━━━┫ ┃ 宇和間━━━━┛ ┃ 北条市━━━━━━━┫ 松山市━━━━━━━┻━━松山市 え あ – 昭和27年8月1日町制施行 い – 昭和35年3月31日 睦野村を中島町へ編入 う – 昭和38年3月31日 西中島村を中島町へ編入 え – 平成17年1月1日 中島町及び北条市を松山市へ編入 (注記)北条市・松山市の合併以前の系譜はそれぞれの市の記事を参照のこと。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 『角川日本地名大辞典38愛媛県』p370-371
関連項目
編集外部リンク
編集- 愛媛県温泉郡神和村 (38B0050019) | 歴史的行政区域データセットβ版 - Geoshapeリポジトリ