磯子風月堂
概要
編集2018年のNHK連続テレビ小説『半分、青い。』で永野芽郁演じる主人公の鈴愛が作中で食した「うさぎ屋」の「黒糖まんじゅう」を製造していることで知られる[1][2][3]。
2020年1月頃、日本ではアマビエを様々に創作物で表現する「アマビエチャレンジ」がSNSで流行っていた[1]。コロナ禍のため卒業式などの大口注文が全てキャンセルとなり、時間ができた3代目店主が。古い青海波の焼印で作った錬り切りをTwitterに投稿したところ大きな反響となり、商品化された[1][4]。練り切りの「アマビエ」を、3代目店主自身が発案した「#全国和菓子アマビエ大会」と共に投稿したろこと、日本全国の和菓子店がそれぞれオリジナルのアマビエをかたどった和菓子を投稿し、コロナ禍の和菓子業界に活気を与えることになった[2]。
主な商品
編集歴史
編集1938年(昭和13年)に横浜市中区伊勢佐木町で創業[2][7]。当初は上生菓子と呼ばれる上等な生菓子を製造販売する店で、料亭への贈呈用和菓子を扱っていた[2]。第二次世界大戦終戦後となる1944年、中区内の大半がアメリカ軍に接収されたのを機に、磯子区へ移転する[2][7]。
1950年代ごろから横浜プリンスホテルで開催される宴会や三溪園で開催される茶会用で磯子風月堂の和菓子が提供されるようになり、人気を博した[7]。
創業者の息子が、2代目店主となってからは、ごまだれ餅が磯子区の「磯子の逸品」に認定され、生クリーム入りの「生どら焼き」などが人気を集めたが、贈答文化の衰退の影響もあって客足は遠のいていた[7]。
石原マサミ(創業者の孫、2代目の娘)は10年以上アパレル業界で働いていたが[7][5]、磯子風月堂の菓子職人が高齢を理由に引退することになったため、跡を継ぐことを決意する[7]。通常は10年かかると言われる和菓子職人の修業を、3年で終わらせ[5]、3代目となった[7]。
クリスマスの雪だるま、ハロウィーンのカボチャのお化けといった変わり種の練りきりなどを販売したことで、子ども連れの来客を増やした[7]。
和菓子教室なども開催していたが、コロナ禍で開始できなくなったため、材料一式が冷凍で配送され、YouTubeの作り方動画を見ながら家庭で和菓子を作れる「おうちで作る 上生菓子 本格和菓子キット」を2020年4月から販売開始[8]。
贈答文化の衰退などが背景にあり、売り上げが落ち込んだため、2024年7月31日で閉店となった[7]。
出典
編集- ^ a b c d e f g h i 都野雅子 (2020年7月27日). “【磯子風月堂】「半分、青い」で使われた手包みの黒糖饅頭!話題のアマビエ様も”. oriori. 2024年9月10日閲覧。
- ^ a b c d e f “横浜市磯子区の和菓子店「磯子風月堂」 7月末で86年の歴史に幕”. タウンニュース (2024年7月20日). 2024年9月10日閲覧。
- ^ “磯子風月堂 「半分、青い。」に登場 黒糖まんじゅうが話題に”. タウンニュース (2018年8月16日). 2024年9月10日閲覧。
- ^ a b 林瞬「コロナ封じ願い「アマビエ」投稿次々 和菓子に注文殺到」『朝日新聞』2020年4月9日。2024年9月10日閲覧。
- ^ a b c “7位 磯子風月堂”. 出没!アド街ック天国. テレビ東京 (2023年6月10日). 2024年9月10日閲覧。
- ^ “磯子のグルメに舌鼓!「磯子の逸品」を食べて、お気に入りを見つけよう!パートⅢ ~磯子駅・屏風浦駅周辺~”. ASCII (2024年2月1日). 2024年9月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “横浜・磯子の老舗和菓子店、7月末に閉店 創業86年 贈答文化の衰退背景”. カナロコ. 神奈川新聞 (2024年7月24日). 2024年9月10日閲覧。
- ^ “コロナ下に愛される和菓子 アパレル職から夫婦で職人に”. 日経クロスウーマン (2021年3月29日). 2024年9月10日閲覧。
外部リンク
編集- 磯子風月堂 - 公式サイト
- 石原商店 (横浜和菓子 磯子風月堂) (@isogofuugetudou) - Instagram
- 石原商店(横浜和菓子 磯子風月堂) (@isogofuugetudou) - X(旧Twitter)
- 横浜和菓子 磯子風月堂(和菓子屋のムスメ) - 3代目店主ブログ
座標: 北緯35度24分40.4秒 東経139度37分20.5秒 / 北緯35.411222度 東経139.622361度