石谷清定 (戦国武将)
石谷 清定(いしがや きよさだ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。石谷政清の四男。室は今川義元の家臣久嶋與平の娘。
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 天文16年(1547年) |
死没 | 慶長6年5月2日(1601年6月2日) |
改名 | 清定→道無(法名) |
別名 | 五郎大夫(通称) |
主君 | 徳川家康 |
氏族 | 石谷氏 |
父母 | 石谷政清 |
兄弟 |
入澤行重、呑説、政信、清定、 桑原與三右衛門室、清重、 乗松彌次右衛門室、小野田小一郎(井伊掃部頭家臣)室、桑原政重 |
妻 | 久嶋與平娘 |
子 | 清平、野間政次室、久嶋權右衛門室、清正、貞清 |
生涯
編集元亀2年(1571年)、父政清や兄政信と共に徳川家康に仕え、大番に列する。天正18年(1590年)の家康の関東転封に従い、武蔵国多摩郡の内に采地250石を賜る。慶長6年(1601年)に死去。多摩郡泉村の泉龍寺に葬られた。