石谷憲男
石谷 憲男(いしたに のりお、1908年(明治41年)1月10日[1] - 1966年(昭和41年)9月20日[2])は、昭和期の農林官僚、政治家。林野庁長官、参議院議員。鳥取県会議長を務めた石谷源蔵の孫。
経歴
編集鳥取県八頭郡智頭町出身[3]。 1931年(昭和6年)東京帝国大学農学部卒業後、農林省に入り、秋田営林局を最初に一貫して林政に努め、鳥取営林署長も務めた[2][3]。以後、経済安定本部林産課長、林野庁計画課長、同業務部長などを歴任[2]。1955年(昭和30年)11月、林野庁長官に就任し[3]1958年(昭和33年)6月まで在任した[4]。
1959年(昭和34年)6月、第5回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で出馬して当選し[3][5]1期在任[2]。参議院地方行政委員長、国立公園審議会委員、鳥獣審議会委員などを務めた[2][3]。1965年(昭和40年)7月の第7回通常選挙(全国区、自由民主党)に立候補したが落選した[6]。
人物像
編集著作
編集- 『森林計画の解説』林材新聞社、1951年。
脚注
編集参考文献
編集- 『日本人事録 第6版 全国篇』中央探偵社、1963年。
- 『鳥取県大百科事典』編集・新日本海新聞社鳥取県大百科事典編集委員会、1984年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
関連人物
編集外部リンク
編集- とっとりデジタルコレクション--石谷憲男
- 石谷家の紹介 - ウェイバックマシン(2004年7月11日アーカイブ分)
- 石谷源蔵伝 - ウェイバックマシン(2005年1月19日アーカイブ分)
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参議院地方行政委員長 1962年 - 1963年 |
次代 竹中恒夫 |