石田 光彦(いしだ みつひこ、1915年10月25日 - 1980年[1])は、山口県出身のプロ野球選手投手)。ノーヒットノーランを2度達成している。

石田 光彦
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山口県
生年月日 1915年10月25日
没年月日 1980年
身長
体重
173 cm
60 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1936年
初出場 1936年
最終出場 1946年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物

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軟式野球の東京リーガル協会[2]から阪急軍のテストを受け、重松通雄とともに[3][4]入団。

打者を「幻惑[2][3]」するために、以下のように多彩な変則投法を繰り出し、千葉茂に「チャップリン投法」と評された[2]

  • 投球前に右手で胸の前で十字を切る[3]。本人はキリスト教徒ではなかったという[2]
  • 千手観音のごとく」、1球ずつ違うリリース角度で投げた[2]
  • ワインドアップから一度、打者に背中を向ける「元祖トルネード投法」[2][3]。球威を増す目的のフォームではなかったという[3]
  • 投球フォーム途中で打者から目を切り、投球をやめる[3]
  • スコアボードやスタンドを長く見詰め続け、投球動作に移らない[2]

1937年7月16日のセネタース戦で球団初のノーヒットノーラン[3]、16勝を挙げた1940年には2度目のノーヒットノーランを達成した[3]。1941年に南海軍へ移籍[3]。1943年に大和軍へ移籍[2]。1946年にゴールドスターにプロ復帰して球団最初の開幕投手を務めたが、同年に引退した。

1946年を最後にプロ野球界から離れたが、1948年(昭和23年)の第19回都市対抗野球に、北関東代表の山藤クラブ(前橋市)の投手として出場している。

東京リーガル協会以前の経歴は不明な点が多く、「法政大学中退」「府立一中出身」など、様々な説がある。最終的には豊浦中出身で落ち着いたが、1学年上で同校OBの戸倉勝城は「うちの学校にそんな選手はいなかった」と話す[5]

投手としての球種はカーブ、シュート。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1936春夏 阪急 2 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 26 5.0 5 0 3 -- 0 4 0 0 5 2 3.60 1.60
1936 18 11 8 3 0 7 5 -- -- .583 509 127.2 85 0 56 -- 0 65 3 0 30 20 1.41 1.10
1937 23 14 6 1 1 8 6 -- -- .571 526 124.1 103 2 47 -- 0 56 2 1 50 39 2.81 1.21
1937 20 11 7 0 1 5 4 -- -- .556 481 114.0 96 4 53 -- 0 46 1 1 42 35 2.76 1.31
1938 12 8 6 0 0 5 4 -- -- .556 304 74.0 53 4 37 -- 1 29 1 0 30 26 3.16 1.22
1938 16 10 9 1 1 7 6 -- -- .538 456 113.0 80 3 45 -- 2 51 0 0 36 30 2.39 1.11
1939 30 19 9 3 0 8 7 -- -- .533 653 151.2 117 3 95 -- 2 64 0 0 57 45 2.66 1.40
1940 43 30 18 4 1 16 13 -- -- .552 1137 283.2 173 3 132 -- 4 97 5 0 80 53 1.68 1.08
1941 南海 28 18 6 3 0 6 7 -- -- .462 574 140.0 79 1 91 -- 3 52 1 0 30 15 0.96 1.21
1942 35 22 9 0 0 6 12 -- -- .333 793 184.0 133 4 121 -- 2 63 1 1 73 48 2.35 1.38
1943 大和 37 26 14 0 0 11 13 -- -- .458 995 234.2 175 3 147 -- 2 83 0 0 90 79 3.03 1.37
1946 ゴールドスター 36 25 16 2 0 12 16 -- -- .429 1006 222.1 228 9 121 -- 2 105 1 0 128 93 3.75 1.57
通算:9年 300 194 108 17 4 91 93 -- -- .495 7460 1774.1 1327 36 948 -- 18 715 15 3 651 485 2.46 1.28
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

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  • ノーヒットノーラン:2回 ※史上3人目
    • 1937年7月16日、対東京セネタース戦、洲崎球場
    • 1940年8月22日、対ライオン戦、大連満倶球場
  • イニング最多連続与四球:5(1943年5月2日)※日本記録

背番号

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  • 3(1936年 - 1942年)
  • 20(1943年)
  • 14(1946年)

脚注・出典

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  1. ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、43ページ
  2. ^ a b c d e f g h プロ野球仰天伝説149 打者をおちょくりながら投げたチャップリン投法の石田光彦 週刊ベースボールONLINE、2018年5月21日
  3. ^ a b c d e f g h i 『永久保存版 阪急ブレーブス黄金の歴史 1936→1988 よみがえる勇者の記憶』 ベースボール・マガジン社、2011年 p.35
  4. ^ 永井正義『勇者たち 人物阪急球団史』現代企画室、1978年 pp.17-18
  5. ^ 職業野球異色列伝”. 2023年11月21日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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