石橋智信
石橋 智信(いしばし とものぶ、1886年5月15日 - 1947年12月21日[1])は、日本の宗教学者。文学博士[2][3]。東京帝国大学教授[1][2][3]。
人物
編集北海道出身[1]。福岡県・石橋政信の二男[2][3]。1909年、東京帝国大学文科大学哲学科卒業[3][4]。
同年渡欧し、伯林日本史家オスカーナツホツド博士の助手となり、伯林大学神学科研究、ライプツィヒ大学文明史研究院東亜部助手を経て、同大学神学科に入り、3ヶ年半研究した[2]。伯林大学、ライプツィヒ大学で宗教学、旧約学を研究した[1]。1914年に帰国し東大講師となり、1920年、助教授[1]、1934年、教授に就任[2][3]。
1921年、文学博士の学位を受け[2]、1926年、「メシア思想を中心としたるイスラエル宗教文化史」で日本学士院賞受賞[1]。1947年、退官[1]。
山口高校時代、内村鑑三、植村正久にキリスト教の影響を受けた[1]。キリスト教信者であった[1]。1933年、分家した[2][3]。東京在籍で[3]、住所は杉並区神明町[2][3]。
家族・親族
編集- 石橋家
著書
編集共著
編集脚注
編集参考文献
編集- 『東京帝国大学一覧 明治42-43年』東京帝国大学、1886-1912年。
- 「東京帝国大学学術大鑑」1940。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。