石橋八九郎 (1884年生の実業家)

石橋 八九郎(いしばし はちくろう、前名・松太郎[1]1884年明治17年)11月[1] - 没年不明)は、日本実業家。石橋合名会社代表社員[1][2]

人物

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和歌山県人・先代八九郎の長男[1][2][3]1926年家督を相続し、前名・松太郎を改め襲名する[1][2][3]

諸会社の重役であり、内外除虫菊、和歌山産業各取締役[1]、紀伊貯蓄銀行常務取締役[3]、内外除虫菊[1]、四十三銀行各監査役などをつとめた[3]

宗教は真宗[2]。住所は和歌山県海草郡塩津村[1](現・海南市下津町塩津)。和歌山県在籍[2]

家族・親族

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石橋家
親戚

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『人事興信録 第10版 上』イ195頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月10日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『人事興信録 第12版 上』イ208頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月10日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 『人事興信録 第9版』イ176頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月10日閲覧。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。