石廊崎ジャングルパーク
石廊崎ジャングルパーク(いろうざきジャングルパーク)は、岩崎産業がかつて静岡県賀茂郡南伊豆町石廊崎で運営していた熱帯動植物園である[1]。
石廊崎ジャングルパーク Irouzaki Jungle Park | |
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施設情報 | |
テーマ | 植物 |
管理運営 | 岩崎産業株式会社[1] |
面積 | 12,000m2(跡地面積:29.8ヘクタール[2]) |
来園者数 | 75万人(1973年度) |
開園 | 1969年[3] |
閉園 | 2003年9月30日[4] |
所在地 | 静岡県賀茂郡南伊豆町石廊崎55 |
概要
編集1960年代、鹿児島の岩崎産業が全国数十カ所の景勝地を意欲的に開発する一環として石廊崎周辺の土地を取得。1969年(昭和44年)5月[5]、「熱帯の楽園を楽しむ場」として開園した[1]。約1万2000平方メートルの温室は東洋一の規模で、温室内には約3万本(3,000種類)の熱帯植物が植えられていたほか、リスザル・ミーアキャットなどの動物[1]、世界最大の淡水魚なども飼育されていた[5]。伊豆観光の中核施設とされ、博物館相当施設にも指定されていた[5]。1993年(平成5年)12月には温室内で、九州以北の日本国内では初めてココヤシの実が実ったことが報じられ[6]、関心を集めた[7]。当時の熱帯果樹園管理担当者は、マンゴー、バナナ、パパイヤなど40種以上の熱帯果樹の生育を試みており、ハウス内の最低温度が15℃未満にならないよう、毎日石廊崎測候所に問い合わせて夜間のボイラー使用を決めるなどしていた[7]。また夏には「南の国の昆虫展」と題して、ヘラクレスオオカブト・コーカサスオオカブトやギラファノコギリクワガタなどといった外国産の昆虫を展示するイベントも行われていた[8][9][10]。
ピーク時の1973年度(昭和48年度)には57万人が入園したが、翌1974年(昭和49年)の伊豆半島沖地震や海外旅行の一般化などから、入園者は減少し続けた[5]。1993年度(平成5年度)には29万3,000人の入園者数を記録していたが、海外旅行の一般化や長期化した不況、伊豆観光の低迷などの影響を受け、2002年度(平成14年度)には入園者数は10万4,000人と大幅に減少していた[1]。「鑑賞型から体験型施設」への転換や、大手私鉄などへの経営移譲の道も探ったが、いずれも不調に終わり、岩崎産業が存続困難と判断したことから[5]、2003年(平成15年)9月30日限りで閉園した[3]。閉園時点では従業員数約20人だった[5]。
閉園後も岩崎産業と南伊豆町との間で、閉園翌日の10月1日から半年間は園入口の駐車場と、そこから繋がる石廊埼灯台への通路(灯台までは国道136号から徒歩10分)の一部の賃貸契約を締結しており、その間は通行可能な状態になっていた[11]。南伊豆町は閉園後、伊豆半島南端の観光地である石廊崎の観光衰退を防ぐため、約117 haの跡地買収交渉を継続し[11]、2004年(平成16年)2月[12]、町は不動産鑑定の評価などから約2億円の買収価格を提示した[11]。しかし岩崎産業側は約6億円で譲歩せず[11]、買収交渉は3月末に決裂した[13]。その後管理は岩崎産業に移り、賃貸契約期限が切れたため、岩崎産業は2004年(平成16年)5月中旬に灯台への通路を閉鎖した[11]。このため、灯台へは石廊崎漁港側から約15分の道のりを登らなければならなくなったが[14]、その道程は往復約2 kmで[15]、高低差も約50 mあり[16]、急坂で道幅も狭かった[11]。このため、同年7月に石廊埼灯台が一般公開された際にも見学を断念する高齢者がいた[17]。また残された施設は富士箱根伊豆国立公園内にもかかわらず放置されたままとなり景観などで問題となっていた。2006年(平成18年)10月には町が買収断念を表明、2007年(平成19年)には岩崎産業が「町が買収交渉を不当に長引かせ、信義にもとる」として町を相手取り、約3億4000万円の損害賠償請求訴訟を静岡地方裁判所下田支部に起こした[12]。2010年(平成22年)1月の第一審判決では原告(岩崎産業)側の請求は棄却された一方、同社所有地の一部を町道が占有しているとして、被告(町)にも損害金の支払いを命じたため、双方が控訴したところ、東京高等裁判所は町が跡地の南半分と、その敷地と付近の県道を連絡する約700 mの連絡道路用地(合計22.5 ha)を約2億2500万円で買い取ることや、測量費用の半額約2980万円を負担することなどを条件とした和解案を提示し、被告(町)はこの条件を受諾[18]。2013年(平成25年)9月24日に南伊豆町が298,110 m²の土地を買い取ることで決着した[19][20]。なお岬には依然として岩崎産業の土地も多く残っており、いびつな形での土地取得であることや、再整備において自然公園法や文化財保護法の関係もあり現状変更の難しさが指摘されている[20]。
その後南伊豆町は跡地に残っていた廃墟を解体して再開発し、2019年4月1日に『石廊崎オーシャンパーク』として開業した[21]。同施設はジオパークビジターセンターを併設した休憩施設や駐車場からなる施設で、ジャングルパーク駐車場閉鎖以降は徒歩15分を要していた石廊崎灯台へのアクセスは、オーシャンパーク駐車場から徒歩5分と便利になっている[22]。初年度の入り込み客数は、2020年(令和2年)3月末までに16万4500人と、目標(13万人)を大きく上回るもので、新婚ブームやジャングルパーク閉園前に訪れた客の再訪が多く、また夏はヒリゾ浜帰りの客も多かったという[23]。
脚注
編集- ^ a b c d e 『静岡新聞』2003年9月27日朝刊19頁「ジャングルパークの跡地利用へ 町と企業、検討進む―南伊豆 今月末に閉園、駐車場と園路を賃貸」(静岡新聞社)
- ^ 『静岡新聞』2016年8月25日朝刊21頁「10月、再開発着手 南伊豆・ジャングルパーク跡地―駐車場や広場整備」(静岡新聞社)
- ^ a b 『静岡新聞』2003年7月4日朝刊1頁「「石廊崎ジャングルパーク」が9月末に閉園 伊豆の観光けん引30年」(静岡新聞社)
- ^ 『静岡新聞』2003年10月1日朝刊21頁「さようならジャングルパーク 開園以来1000万が来場―南伊豆・石廊崎 測候所も最後の有人観測」(静岡新聞社)
- ^ a b c d e f 『朝日新聞』2003年7月5日東京朝刊静岡県版1面35頁「入園者低迷、9月に閉園 「石廊崎ジャングルパーク」 /静岡」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『静岡新聞』1993年12月10日朝刊21頁「南伊豆町ジャングルパークでココヤシ実る 九州以北の国内で初」(静岡新聞社)
- ^ a b 『静岡新聞』1993年12月24日朝刊18頁「この人」(静岡新聞社)
- ^ 『静岡新聞』2001年8月12日朝刊20頁「児童らカブトムシに大喜び―南伊豆で「南の国の昆虫展」」(静岡新聞社)
- ^ 『静岡新聞』2001年8月10日朝刊22頁「大きなカブトムシに歓声―南伊豆で昆虫展」(静岡新聞社)
- ^ 『静岡新聞』2003年8月3日朝刊24頁「珍しい昆虫、標本一堂に――31日まで南伊豆」(静岡新聞社)
- ^ a b c d e f 『毎日新聞』2004年5月26日東京朝刊静岡地方版22頁「石廊崎灯台、通路閉鎖に 観光シーズン目前に町、対応に苦慮――南伊豆町 所有者との買収交渉不調 /静岡」(毎日新聞東京本社【中村隆】)
- ^ a b 『読売新聞』2007年4月26日東京朝刊静岡版33頁「南伊豆のジャングルパーク跡地「町が買収交渉引き延ばし」運営会社が提訴=静岡」(読売新聞東京本社)
- ^ 『朝日新聞』2004年5月25日東京朝刊静岡県版1面31頁「熱帯植物園跡の町買収軟膏で、石廊崎への道封鎖 南伊豆 /静岡」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『静岡新聞』2004年7月25日朝刊18頁「「海の月間」行事 石廊埼灯台を一般に公開 」(静岡新聞社)
- ^ 『静岡新聞』2016年8月25日朝刊21頁「10月、再開発着手 南伊豆、ジャングルパーク跡地―駐車場や広場整備」(静岡新聞社)
- ^ 『伊豆新聞』2015年12月23日下田版1頁「石廊崎区が駐車場運営 南伊豆・ジャングルパーク跡地開発 町に要望書提出」(伊豆新聞本社)
- ^ 『朝日新聞』2004年7月25日東京朝刊静岡県版1面37頁「眺望の雄大さに見学者から歓声 石廊埼灯台 /静岡」(朝日新聞東京本社)
- ^ 『読売新聞』2013年1月18日東京朝刊静岡版31頁「南伊豆町が購入・和解へ ジャングルパーク跡地の半分=静岡」(読売新聞東京本社)
- ^ 『読売新聞』2013年9月25日東京朝刊静岡2版32頁「石廊崎ジャングルパーク跡地 南伊豆町 今月買い取りへ=静岡」(読売新聞東京本社)
- ^ a b 日本都市計画学会 都市計画報告集 No.14(2015年度)『住民参加によるまちづくりワークショップに関する成果と課題 -石廊崎ジャングルパーク跡地利用計画策定ワークショップを事例として-』 (2015) - 木村亜維子ら、2017年3月閲覧
- ^ 「石廊崎の絶景楽しんで オーシャンパーク開業 南伊豆」『静岡新聞』2019年4月2日。
- ^ 『静岡新聞』2019年4月2日朝刊17頁「石廊崎の絶景 楽しんで オーシャンパーク開業 南伊豆」(静岡新聞社)
- ^ 『伊豆新聞』2020年4月26日下田版3頁「再開発効果で初年度16万人超 石廊崎オーシャンパーク入り込み客 南伊豆」(伊豆新聞本社)