石川 総長(いしかわ ふさなが)は、伊勢神戸藩の初代藩主。伊勢亀山藩石川家分家初代。

 
石川 総長
時代 江戸時代前期
生誕 慶長10年(1605年
死没 寛文元年10月22日1661年12月13日
改名 権十郎(幼名)、総長
戒名 性善院日受
墓所 東京都北区田端の大久寺
官位 従五位下、播磨
幕府 江戸幕府小姓頭、大番頭、大坂定番
伊勢国神戸藩
氏族 石川氏
父母 父:石川忠総、母:堀尾吉晴の娘
兄弟 廉勝総長貞当泰総邦総総氏
正室:加賀爪忠澄の娘
総良加賀爪直清
娘(斉藤三賢正室のち菅谷政照継室)
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生涯

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慶長10年(1605年)、近江膳所藩石川忠総の次男として小田原で生まれる。寛永18年(1641年)に小姓組番頭に任じられた後、従五位下・播磨守に叙任され、寛永19年(1642年)に2000石を与えられる。慶安元年(1648年)3月に大番頭に任じられる。

慶安4年(1651年)、父の死により遺領から伊勢河曲郡鈴鹿郡の内から1万石を分与され、神戸藩を立藩し大名となる。その際、先に与えられた2千石を返納した。万治3年(1660年)、大坂定番を命じられ、河内国石川郡古市郡の内から1万石を加増され合わせて2万石を領した。河内の領国支配のため寛文元年(1661年)5月、石川郡白木村(現大阪府南河内郡河南町大字白木)に陣屋(白木陣屋)を設けた。

寛文元年(1661年)10月22日、大坂で死去した。享年57。跡を長男の総良が継いだ。

系譜

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父母

正室

子女