石川 等(いしかわ ひとし、1886年2月18日[1] - 1953年5月27日)は、日本の技術者実業家工学博士日本カーボン創立者・初代代表取締役社長電気化学協会第11代会長。炭素協会初代会長。

人物・経歴

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長野県生まれ[2]。1910年東京高等工業学校(現東京工業大学電気化学科卒業[3]。学科の1年先輩に冨山保(のちに初代横浜国立大学学長)がいた[4]。同年設立された東京カーボン工業所に技師長として入り、電極の国産化に成功[5]。1915年には原富太郎横浜財界の支援を得て独立して日本カーボンを設立。日本における安定的炭素工業企業の先駆けとなった[4][6]。同社初代代表取締役社長[7]。1930年工学博士京都帝国大学[8]。1933年の電気化学協会創立に参画し、同協会関東支部長も務めた[4][6]。1934年日本学術振興会第18委員会電気材料小委員会分科会主査[9]。1940年日本有機監査役[10]。1948年炭素協会初代会長[11]。1951年電気化学協会会長[12]蔵前工業会理事長、蔵前工業会館代表取締役会長[13]胃潰瘍のため体調を崩し、1953年に山王病院で死去[4][14]

親族

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石川敏功元日本カーボン代表取締役社長は養子で、その妻は奥村喜和男内閣情報局次長の子[4]

著書

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  • 石川, 等、徳三, 外村『電極・黒鉛・カーボランダム』共立社〈電氣化學工業大系〉、1937年。 NCID BA31104015 
  • 石川, 等、田中, 洸『炭素黒鉛及電極』共立社、1940年。 NCID BN14588041 
  • 石川, 等、田中, 洸『炭素工業』 上巻、進信堂、1948年。 NCID BA61666568 
  • 石川, 等、田中, 洸『炭素工業』 中巻、日本カーボン、1951年。 NCID BA65193708 

脚注

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  1. ^ 『人事興信録 第17版 上』(人事興信所、1953年)い82頁
  2. ^ 志賀護「石川等」『興亜経済人読本』政治経済資料研究社、1939年、38-39頁。NDLJP:1275415 
  3. ^ 「石川等 (男性)」 日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
  4. ^ a b c d e 石川, 敏功「歴代会長,20・21世紀を語る: 電気化学協会とカーボン」『電気化学および工業物理化学』第68巻第1号、電気化学協会、2000年、46-47頁、doi:10.5796/electrochemistry.68.46 
  5. ^ 「中村化学研究所の創立」 写真集 - 加藤科学振興会
  6. ^ a b 石川, 敏功「日本における炭素工業の沿革」『炭素』第1969巻第58号、1969年、257-262頁、doi:10.7209/tanso.1969.257 
  7. ^ 美浦, 隆『電気化学および工業物理化学』第54巻第8号、1986年、675-676頁、doi:10.5796/kogyobutsurikagaku.54.675 
  8. ^ 石川, 等「非晶形炭素ノ黒鉛化ニ関スル研究」、京都帝国大学、1930年7月30日、NAID 500000487413 
  9. ^ ま え が き - 炭素材料第117委員会
  10. ^ 花王石鹸(株)『花王石鹸八十年史』(1971.01) 渋沢社史データベース
  11. ^ 「東海カーボン(株)『東海カーボン六十五年史』(1983.12)」 渋沢社史データベース
  12. ^ 「会長就任の挨拶 石川 等」『電氣化學』第19巻第12号、1951年、367-368頁、doi:10.5796/denka.19.367 
  13. ^ 蔵前工業会創立100周年記念特集” (PDF). 社団法人蔵前工業会. p. 59 (2006年). 2020年7月25日閲覧。
  14. ^ 佐野 隆一『電氣化學』第21巻第8号、1953年、365-366頁、doi:10.5796/denka.21.365 
先代
永井清次
電気化学協会会長
1951年 - 1953年
次代
井上春成
先代
苫米地義三
蔵前工業会理事長
1951年 - 1953年
次代
佐野隆一