石川琢磨
石川 琢磨(いしかわ たくま、1894年〈明治27年〉4月3日[1] - 1959年〈昭和34年〉6月[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
石川 琢磨 | |
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生誕 |
1894年4月3日 日本 佐賀県 |
死没 | 1959年6月??日 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1916年 - 1943年 1944年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1894年(明治27年)に佐賀県で生まれた[1]。陸軍士官学校第28期、陸軍大学校第38期卒業[1]。1938年(昭和13年)7月15日、陸軍歩兵大佐に進級し[2]、12月10日に第13師団参謀長に着任[2]。1940年(昭和15年)3月に陸軍予科士官学校生徒隊長を経て[2]、1942年(昭和17年)2月に第11軍参謀副長に就任し[2]、中国戦線に出動[1]。
同年8月1日に陸軍少将に進級し[2]、歩兵第35旅団長に着任[1]。1943年(昭和18年)3月11日に東部軍司令部附となり[1]、3月31日に予備役に編入された[2]。1944年(昭和19年)に召集され、東部軍司令部附を経て[3]、5月10日に釜山要塞司令官兼釜山陸軍軍需輸送統制部長(関東軍・第17方面軍)に就任し[1]、終戦を迎えた[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。