石川 潤次郎(いしかわ じゅんじろう、天保7年(1836年)8月 - 元治元年6月5日(1864年7月8日))は、幕末期に土佐藩に仕えていた足軽。諱は直義。
元治元年、土佐藩の命を受けて京都黒谷三条家別宅の警備を勤めていた。同年6月5日、土佐脱藩望月亀弥太を池田屋に訪ねたところ、池田屋事件に巻き込まれて死亡。享年28。明治31年(1898年)、正五位を贈られる[1][2]。