石川暎作
石川 暎作(いしかわ えいさく、1858年6月1日(安政5年4月20日) - 1886年(明治19年)4月27日)は、明治期の大蔵省職員[1]、『東京経済雑誌』編纂者。日本で初めて、アダム・スミスの『国富論』(石川の書名では『富国論』)の全訳出版に着手した。族籍は福島県平民[1]。
経歴
編集陸奥国河沼郡野沢(現・福島県耶麻郡西会津町)の石川市十郎の三子。1873年(明治6年)に横浜の高島学校で英語を学び、1874年(明治7年)には東京に出て慶應義塾に入り、尺振八とも関係を持った(『慶應義塾入社帳第一巻』742頁)。大蔵省に入り、銀行局御用掛となる[1]。のち病のため退官し、田口卯吉が主催する、『東京経済雑誌』の創刊当初より助けてその編集にあたり、社説を起草した。その他、医師の渡部鼎と共に婦人束髮会を組織し、明治女学校設立の功労者となるなど、黎明期日本の教育と文化に大きな足跡を残した。しかし1886年(明治19年)、結核により29歳で早世した。
著書
編集- 『米伊紙幣交換始末』経済雑誌社、1885年
訳書
編集脚注
編集- ^ a b c 『大蔵省職員録 明治13年5月』218頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年4月9日閲覧。
参考文献
編集- 大蔵省編『大蔵省職員録 明治13年5月』大蔵省、1876-1880年。
- 福澤諭吉研究センター編『慶應義塾入社帳 第1巻』慶應義塾、1986年。