石川 一政(いしかわ かずまさ)は、戦国時代の武将。松平氏の家臣。

 
石川 一政
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 天文18年7月18日1549年8月21日[1]
別名 伝太郎[1]
戒名 伊落、意楽[1]
墓所 蓮泉寺[1]
主君 松平広忠竹千代
氏族 三河石川氏
父母 父:石川清兼[1]
兄弟 康正一政家成安藤基能の妻、平岩金次郎の妻、酒井正親の室、稲熊康宿の妻[2]
一勝[1]
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略歴

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松平氏の重臣を務めた石川清兼の次男。弟に徳川家康の重臣として知られる石川家成がいるが、自身は庶子だったために別家を立てたという[2]松平広忠に仕え、三河国碧海郡木戸を領した[1][3]。広忠死去の直後となる天文18年(1549年7月安城合戦織田信秀の軍勢と小川で戦って戦死した。子孫も松平氏(徳川氏)に仕え、江戸幕府旗本となっている[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『寛政重修諸家譜』, p. 18.
  2. ^ a b 『寛政重修諸家譜』, pp. 2–3.
  3. ^ 石川 1935, pp. 11–12.

参考文献

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  • 石川玄 編『浄土真宗と三河石川』愛知石川会、1935年。 
  • 寛政重修諸家譜』 3巻、高柳光寿(監修)、続群書類従完成会、1964年。ISBN 978-4-7971-0207-9