石山権作
昭和期の労働運動家、政治家
石山 権作(權作、いしやま ごんさく、1909年(明治42年)5月25日[1] - 1968年(昭和43年)8月20日[2][3])は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。
石山 権作 いしやま ごんさく | |
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生年月日 | 1909年5月25日 |
出生地 | 秋田県秋田市手形字大沢 |
没年月日 | 1968年8月20日(59歳没) |
出身校 | 中通尋常高等小学校高等科 |
前職 | 東北パルプ |
所属政党 | 日本社会党 |
選挙区 | 旧秋田1区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1953年4月20日 - 1963年10月23日 |
経歴
編集秋田県[2][3]秋田市手形字大沢で生まれる[1]。1924年(大正13年)中通尋常高等小学校高等科を卒業した[1][3]。
東北パルプ(現日本製紙)に入社[1]。1948年(昭和23年)東北パルプ労働組合委員長に就任し、秋田市議会議員、秋田県労働組合会議議長、同顧問、秋田県労働金庫(現東北労働金庫)理事長、同顧問、全国紙パルプ労働組合連合会中央執行委員会、日本社会党秋田県本部委員長などを務めた[1][2][3]。
1952年(昭和27年)10月の第25回衆議院議員総選挙で秋田県第1区から社会党左派公認で出馬して次点で落選[4]。1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙で初当選[1][2][3][4]。以後、1960年(昭和35年)11月の第29回総選挙まで再選され[4]、衆議院議員に連続4期在任した[1][2][3]。この間、積雪寒冷単作地帯振興対策審議会委員、海岸砂地地帯農業振興対策審議会委員、東北開発審議会委員、社会党秋田県連執行委員長、同顧問、同中小企業対策副部長、同内閣部会長、同国会共闘会議副議長、同寒冷地対策特別委員長、同私学振興対策特別委員長、同中央統制委員などを務めた[2][3]。その後、1963年(昭和38年)11月の第30回総選挙に立候補したが落選した[5]。
また、1930年(昭和5年)に赤沼鉄也らと『秋田詩人』を創刊し文芸活動も行った[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『秋田人名大事典(第二版)』秋田魁新報社、2000年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。