石塚広治
プロフィール
編集来歴
編集京都府立朱雀高等学校を経て同志社大学(以下、同大)に進学。同大のラグビー部に所属し、1961年度の第2回日本協会招待NHK杯争奪ラグビー大会(日本ラグビーフットボール選手権大会(以下、日本選手権)の前身大会)において、坂田好弘、宮地克実らとともに、後に入社することになる近鉄を17-6で破り、事実上のラグビー日本一を経験。
そして1963年、ラグビー日本代表(以下、日本代表)のカナダ遠征メンバーに選出され、ブリティッシュコロンビア州代表戦で初キャップを獲得した。
さらに1963年度の第1回日本選手権では、1回戦で全国社会人ラグビーフットボール大会(以下、全国社会人大会)優勝の八幡製鉄を18-11破り、決勝でも同2位の近鉄を18-3で下し、今度は正真正銘の日本一を主将として経験して同大を卒業。1964年、近鉄に入社した。
近鉄でも、1年後輩にあたる坂田や小笠原博らとともに、1966年、1967年の各年度における、全国社会人大会、日本選手権の連覇に貢献。そして1968年の日本代表ニュージーランド遠征にも参加し、同年6月3日にウェリントンで行われ、23-19で撃破することになる、オールブラックスジュニア戦でも先発フィフティーンに名を連ねた。
現役引退後、親会社の近鉄が経営母体となっている、飛鳥ゴルフ株式会社の社長[1]等を歴任した。
関連項目
編集参考文献及び出典
編集- 『ザ・ワールドラグビー』 (大友信彦 編、新潮社、ISBN 4104627011)の27頁
- 『栄光のトライ』 (馬場信浩著、光文社、ISBN 4334027857)の267頁〜296頁