石嘉波神社

沖縄県本部町瀬底島にある神社

石嘉波神社(いしかじんじゃ)は、沖縄県国頭郡本部町瀬底島にある神社であり、字瀬底の小字石嘉波村落(方言:イッチャファ)の東南方の小高い森一帯を指す。一帯は御嶽タキサンとも呼ばれている[1]。 根所・神アサギも石嘉波神社(御嶽タキサン)に含まれる。

石嘉波神社

鳥居
所在地 沖縄県国頭郡本部町瀬底2261
位置 北緯26度38分47.2秒 東経127度52分8.7秒 / 北緯26.646444度 東経127.869083度 / 26.646444; 127.869083 (石嘉波神社)座標: 北緯26度38分47.2秒 東経127度52分8.7秒 / 北緯26.646444度 東経127.869083度 / 26.646444; 127.869083 (石嘉波神社)
主祭神 根所火神
創建 1928年昭和3年)7月28日(旧暦6月12日)建立
別名 御嶽タキサン
例祭 ウークイ(ウフユミ)
地図
石嘉波神社の位置(南西諸島内)
石嘉波神社
石嘉波神社
テンプレートを表示

概要

編集

字瀬底の小字石嘉波村落(方言:イッチャファ)の東南方の小高い森一帯が、石嘉波神社である。森の中にコンクリート造りのがあり(1928年7月28日建立)西側入口に鳥居が建っている[1]

神社と呼ばれているが、根所・神アサギも石嘉波神社(御嶽タキサン)を指す森一帯に含まれる。(根所・神アサギについて詳しくは後述)

歴史

編集

石嘉波村は伊野波間切創設時からの古村であり、元は健堅村に隣接した石嘉波にあったが、蔡温の山林政策で、尚敬王代の1736年乾隆元年)に瀬底島の東側に村移しさせられた[2]。石嘉波神社はその際、村人によって作られた拝所である[3]

以後、村は石嘉波村として存続したが、1903年明治36年)県令第36号によって石嘉波村が瀬底村に合併して一村となり、さらに1908年(明治41年)本部間切瀬底村から本部村字瀬底に改められ、次いで1940年昭和15年)本部町字瀬底となった[1]

石嘉波村落の御嶽タキサンも旧石嘉波村落へのお通し御嶽であり、祭祀も現在に至るまで瀬底村落とは別々に行われている[1]。旧七月二十日には「ウークイ(ウフユミ)」という、豊漁・豊作の感謝と予祝御願を中心に村人の健康、繁栄を御願する儀礼が行なわれる[4]

なお、『琉球国由来記』(1713年)には「石嘉波村、前之嶽・神名マツノワカッカサノ御イベ、ヨネフサキ嶽・神名カネマツ司ノ御イベ、アラサケ嶽・神名イシノ御イベ」と記されているが、特定出来ない[1]

根所

編集
 
根所

根所(方言:ニードゥクール)は、タキサンの北側約30メートルのところに位置する。間口2メートル、奥行160センチメートル、高さ2メートルの破風コンクリート造りで、祭神は根所火神である[1]

神アサギ

編集
 
神アサギ

神アサギとは神を迎え招宴をする場所のことをいう。

石嘉波神社の神アサギは根所の西側、一段低いところにある。柱はコンクリート、屋根はセメント瓦葺きで造られている[1]

脚注

編集
出典
  1. ^ a b c d e f g 本部町教育委員会『本部町の文化財』 第5集、本部町、1981年3月31日、28頁。 NCID BA74524293 
  2. ^ 球陽』巻13「石嘉波邑移建干瀬底島」
  3. ^ 瀬底島GUIDE MAP”. www.town.motobu.okinawa.jp. 2023年9月8日閲覧。
  4. ^ 仲田善明『本部のシヌグ』沖縄学研究所〈沖縄学研究叢書4〉、2003年10月16日、57-58頁。国立国会図書館サーチR100000001-I47111108382667 

参考文献

編集

関連項目

編集