石原重俊
日本の郷土史家、教育者、小学校校長
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石原 重俊(いしはら しげとし、明治5年2月3日(1872年3月11日) - 1944年3月1日)は、日本の郷土史家、教育者、小学校校長。
略歴
編集明治5年2月3日(1872年3月11日)鶴岡代官町に、石原多次馬重威の長男として生まれる。朝暘学校卒業、1892年(明治25年)荘内中学校(山形県立鶴岡南高等学校)卒業(初代卒業生)。朝暘小学校準訓導となり、1908年(明治41年)朝暘第二小学校校長、1918年(大正7年)西郷第一小学校校長。1926年(大正15年)同職を退任すると、図書館に勤務。郷土史研究に打ち込み、阿部正己らと共に本楯遺跡の調査をする。