石動曳山祭
石動曳山祭(いするぎひきやままつり)は富山県小矢部市石動地区(旧 石動町)にて、毎年4月29日に行われる江戸時代中期より続く石動愛宕神社の春季祭礼であり、小矢部三大祭の一つである[1]。3基の神輿渡御・11基の曳山供奉が行われる。以前は4月23日〜25日に行われていた。
概要
編集11基の曳山が小矢部市中心部で江戸時代は今石動といわれた石動市街地(石動駅北側)を、各町揃いの法被姿の若衆によって曳き回される。御坊町の曳山が1752年(宝暦2年)に創設されたのが始まりといわれ、寛政・文化・文政期に多くの曳山が作られ、その後現在の姿になった。
午後3時に愛宕神社の御旅所がある、小矢部市商工会館前に花山山車11基が勢ぞろいし午後3時半過ぎに出発、午後5時ごろに廻向寺前に再び11基が並び、提灯花山となって商工会館前に向かい、午後6時30分頃より午後8時まで、商工会館前にて三度勢ぞろいした提灯花山11基がライトアップされ、通常観光客が上がれない曳山への試乗体験なども行われる。2017年(平成29年)の祭礼より、あいの風とやま鉄道石動駅前通りでも11基の勢ぞろいを行っている[2][3]。
また以前は、新町、川原町(現 今石動町1丁目)、鍛冶町(中下飯田鍛冶町)、越前町、福町2丁目、福町3丁目の6町が歌舞伎山車を、細工町、福町1丁目、川岸町の3町(昔は越前町を含め4町)が庵屋台を曳き出していた。しかし、三味線や浄瑠璃方の担い手の減少により、徐々に曳かれなくなり、歌舞伎山車は川原町が1967年(昭和42年)まで、庵屋台は細工町が昭和40年代中頃まで曳き出していたがその後途絶え、現在祭礼では全く曳き出されていない[4]。ただし歌舞伎山車は鍛冶町が1971年(昭和46年)に、歌舞伎山車の上で歌舞伎を行ったという記録[5]もあり定かではない。
11基の曳山は1980年(昭和55年)8月1日、川原町(現 今石動町1丁目)の歌舞伎山車は1988年(昭和63年)6月20日に、小矢部市の有形民俗文化財に指定されている。また2006年(平成18年)には、「とやまの文化財百選(とやまの祭り百選部門)」に選定されている。
2020年(令和2年)4月5日、新型コロナウイルス感染症の拡大を受け、関係諸団体はこの年の曳山の巡行などの中止を決定した[6]。翌2021年(令和3年)も曳山の巡行を中止とし、各曳山の祭神展示のみの予定である[7]。
神輿
編集3基 - 駅前・上野本(うわのほん)・城山町(しろやままち)
曳山
編集11基の曳山は高さ約5.9m〜6.5mで、高岡御車山と同じように地車に鉾柱(心柱)を立て花傘を付けた花山(花鉾山)車である。上山と下山の二層構造で鉾柱(心柱)の周りに赤・白・黄3色の造花で出来た菊の花を付けた割竹を放射状に広げた花傘の鉾山だか、他の富山県西部の花山車が鉾柱(心柱)が中央にあり、御神体が心棒後方に置かれるのに対し、石動の山車は鉾柱(心柱)が後方にあり祭神といわれる御神体がその前方に供えられる。鉾柱(心柱)の先端には標識(だし)といわれる鉾留が付いている。また今町の曳山には相座としてあやつり人形が供えられている。下山には幔幕(まんまく)が張られている。車輪は4輪の大八車(外車)様式で、直径は1.3〜1.4mである。
御坊町(ごぼうまち)
編集南上野町(みなみうわのまち)
編集北上野町(きたうわのまち)
編集上新田町(かみしんでんまち)
編集中新田町(なかしんでんまち)
編集下糸岡町(しもいとおかまち)
編集柳 町(やなぎまち)
編集博労町(ばくろうまち)
編集紺屋町(こんやまち)
編集下新田町(しもしんでんまち)
編集今 町(いままち)
編集安永の曳山車騒動
編集- 詳細は高岡御車山祭の項「安永の曳山車騒動と津幡屋与四兵衛」を参照
安永の曳山車騒動は、1775年(安永4年)に高岡(御車山)と、放生津(新湊)曳山(放生津)との間におこった車輪(曳山車)を巡る騒動で、「今後高岡と類似した曳山車は曳き出してはならぬ。しかし地車であれば許可する。」とのお触れが出たことにより、その後の加賀(主に現在の富山県西部)、越中各地の曳山祭りならびに曳山の発展に多大な影響を与えた大事件である。石動ではこの騒動で、曳山創設から歴史が短いとの理由で、暫らくの間曳山祭りは中止に追い込まれた。
歌舞伎山車と庵屋台
編集現在祭礼では曳き回されていない歌舞伎山車の、新町、川原町(現 今石動町1丁目)、鍛冶町(中下飯田鍛冶町)、越前町、福町2丁目、福町3丁目の6町の内、越前町の歌舞伎山車は1933年(昭和8年)まで[9]、新町は1955年(昭和30年)まで[10]、現在唯一曳き出すことのできる川原町の歌舞伎山車は、宝暦年間(1751~1764年)に創建された内車3輪の山車で、1967年(昭和42年)まで子供歌舞伎が行われていたことがわかっている[4]。鍛冶町の歌舞伎山車は江戸末期より始められ、1971年(昭和46年)まで曳き出されたとされる[5]。
庵屋台は、細工町、福町1丁目、川岸町の3町(昔は越前町を含め4町)の内、細工町が昭和40年代中頃まで曳きだしていた[9]。
鍛冶町(中下飯田鍛冶町)の歌舞伎山車は、小矢部市市制30周年記念の1992年(平成4年)に曳き回し、2002年(平成14年)に組み立てて展示、2017年(平成29年)には組立て技術を継承したいと若手住民から声が上がり、同年4月22、23日の2日間を掛け組み立て、4月24日から祭礼当日の29日まで町内の道林寺境内にて展示された[11][12][13]。
小矢部市有形民俗文化財に指定されている川原町(現 今石動町1丁目)の歌舞伎山車は、1997年(平成9年)に組立てられて以来14年ぶりに組立て技術を継承しようと、2011年(平成23年)7月16日に組立てられ、翌17日18時より町内を曳き回した[4][14]。なお、鏡板は1850年(嘉永3年)に制作された、井波彫刻中興の祖初代岩倉理八の作で、高さ80cm、幅190cmである[15][16]。
また2016年(平成28年)の祭礼には、これまで長い間山蔵に収蔵されていた新町の歌舞伎山車、新町の庵屋台、越前町の歌舞伎山車の装飾彫刻をそれぞれの山蔵とともに公開した。また市内中心部の施設では、歌舞伎山車や庵屋台の写真や子供歌舞伎の台本などが展示された[9][10]。なお、新町歌舞伎山車の鏡板は、1895年(明治28年)に制作された、井波彫刻師初代大島五雲の作である[16]。
関連項目
編集脚注
編集- ^ 小矢部市観光協会 ホームページ
- ^ 『石動曳山 駅前勢ぞろい 4月29日祭り 連盟が新たな試み』北日本新聞 2017年2月23日28面
- ^ 『華やか11基 勢ぞろい 石動曳山祭』北日本新聞 2017年4月30日37面
- ^ a b c 『きょう14年ぶり公開 小矢部・川原町 子供歌舞伎山車 組み立て技術継承へ』北日本新聞 2011年7月17日25面
- ^ a b 『富山県の曳山(富山県内曳山調査報告書)』(富山県教育委員会)1976年(昭和51年)3月発行 3P
- ^ 『八尾・石動 曳山祭中止 「3密」避け リスク考慮』北日本新聞 2020年4月6日33面
- ^ 『石動曳山祭 山車巡行中止』北日本新聞 2021年3月16日27面
- ^ 『小矢部で来月29日 石動曳山祭 御坊町に新山蔵完成』北日本新聞 2018年3月5日26面
- ^ a b c 『巡行途絶えた歌舞伎山車・屋台 山蔵公開 装飾も展示 29日石動曳山祭』北日本新聞 2016年4月26日21面
- ^ a b 『花山車11本 勢ぞろい 石動曳山祭 巡行後ライトアップ 歌舞伎山車や屋台 懐かしい姿を公開』北日本新聞 2016年4月30日28面
- ^ 『歌舞伎山車15年ぶり復活 石動曳山祭に中下飯田鍛冶町 道林寺で来月24〜29日 若い世代「継承したい」』北日本新聞 2017年3月30日31面
- ^ 『歌舞伎山15年ぶり復活 小矢部 中下飯田鍛冶町 きょう完成 若手と経験者 組み付け』北日本新聞 2017年4月23日25面
- ^ 『歌舞伎山 15年ぶり披露 中下飯田鍛冶町 巡行復活に意欲』北日本新聞 2017年4月30日31面
- ^ 『14年ぶりお披露目 小矢部・川原町 子供歌舞伎山車が巡行』北日本新聞 2011年7月18日25面
- ^ 『小矢部 川原町 子供歌舞伎山車 12年ぶり鏡板公開 江戸後期の井波彫刻』北日本新聞 2023年6月24日25面
- ^ a b 『名品「鏡板」じっくり 小矢部 川原町 12年ぶり公開』北日本新聞 2023年6月25日18面
参考文献
編集- 『小矢部市史 上巻』(小矢部市史編集委員会 編・小矢部市)1971年(昭和46年)3月1日発行
- 『小矢部市史 –市政四十年史編–』(小矢部市史編集委員会 編・小矢部市)2002年(平成14年)12月発行
- 『富山県の曳山(富山県内曳山調査報告書)』(富山県教育委員会)1976年(昭和51年)3月発行
- 『加越能の曳山祭』(宇野通 著・能登印刷出版部)1997年(平成9年)8月20日発行 ISBN 4-89010-278-7
- 『石動曳山祭リーフレット(パンフレット)』石動曳山連盟・小矢部市商工会・小矢部市商工観光課発行
- 『とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り』(富山県教育委員会 生涯学習・文化財室)2007年(平成19年)3月発行