知久八万
知久 八万(ちく はちまん[1]、1890年(明治23年)3月19日[2] - 1954年(昭和29年)2月27日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
知久 八万 | |
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生誕 |
1890年3月19日 日本 千葉県 |
死没 | 1954年2月27日(63歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1912年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1890年(明治23年)に千葉県で生まれた[2]。陸軍士官学校第24期[2]、陸軍砲工学校高等科第21期(優等)卒業[1]。1939年(昭和14年)3月9日に陸軍砲兵大佐進級と同時に大阪陸軍兵器支廠長に着任[1]。1940年(昭和15年)4月に陸軍兵器本部課長に転じ[1]、1941年(昭和16年)7月に第1砲兵団長に就任した[1]。
1942年(昭和17年)11月に第17軍兵器部長(第8方面軍)に就任し[2]、ブーゲンビル島に出征[2]。1944年(昭和19年)8月1日に陸軍少将に進級し[1]、米軍を相手に悪戦苦闘を続けてブーゲンビル島で終戦を迎えた[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。