矢板明夫(やいた あきお、1972年昭和47年〉[1] - )は、日本ジャーナリスト新聞記者)。産経新聞の元台北支局長。松下政経塾生(第18期)。中国語名は荊 涛(けい とう、ジン・タオ)[2]

矢板 明夫
(やいた あきお)
生誕 (1972-10-05) 1972年10月5日(52歳)
中華人民共和国の旗 中華人民共和国 天津市
国籍 日本
教育 慶應義塾大学文学部
職業 ジャーナリスト
活動期間 2002年平成14年) -
代表経歴 産経新聞台北支局長
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略歴・人物

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千葉県出身[3]中国天津市生まれの中国残留日本人2世で、15歳の時に日本に引き揚げ[1]千葉市立稲毛高等学校卒業[4][5]1997年平成9年)慶應義塾大学文学部卒業、松下政経塾に入塾(第18期)。「中台関係台湾問題の平和解決における日本の役割をテーマ」に研修。2000年から中国社会科学院日本研究所の特別研究員、南開大学非常勤講師を務める[1]2002年、中国社会科学院大学院博士課程修了後[3]産業経済新聞社に入社。さいたま支局、熊谷通信部を経て産経新聞東京本社外信部。2007年から中華人民共和国の中国総局(北京市特派員2017年から東京本社外信部次長。2020年令和2年)4月から台北支局長[1]

2012年10月、文藝春秋から出版した著書『習近平 共産中国最弱の帝王』で、平成24年度・第7回「樫山純三賞」を受賞した[6]

2024年5月末日、22年勤務した産経新聞を退職した[7]

著書

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単著

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  • 『習近平 共産中国最弱の帝王』(文藝春秋、2012年3月)
  • 『戦わずして中国に勝つ方法』(産経新聞出版、2013年6月)
  • 『習近平 なぜ暴走するのか』(文春文庫、2014年9月)
  • 『習近平の悲劇』(産経新聞出版、2017年12月)
  • 『中国人民解放軍2050年の野望 米軍打倒を目指す200万人の「私兵」』(ワニブックスPLUS新書、2019年10月)

共著

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  • 古森義久との共著『2014年の「米中」を読む!』(海竜社、2014年1月)
  • 石平との共著『私たちは中国が世界で一番幸せな国だと思っていた わが青春の中国現代史』(ビジネス社、2018年6月)
  • 古森義久との共著『米中激突と日本の針路』(海竜社、2020年3月)
  • 石平との共著『中国はどこまで世界を壊すか』(徳間書店、2020年6月)

脚注

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  1. ^ a b c d 矢板明夫プロフィール”. 松下政経塾. 2021年3月29日閲覧。
  2. ^ 陳昌遠 (2022年7月12日). “【矢板明夫專訪2】15歲從荊濤變矢板明夫 「背下全日本運動員名字」找國族認同” (中国語). 鏡週刊. https://tw.news.yahoo.com/%E7%9F%A2%E6%9D%BF%E6%98%8E%E5%A4%AB%E5%B0%88%E8%A8%AA2-15%E6%AD%B2%E5%BE%9E%E8%8D%8A%E6%BF%A4%E8%AE%8A%E7%9F%A2%E6%9D%BF%E6%98%8E%E5%A4%AB-%E8%83%8C%E4%B8%8B%E5%85%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%81%8B%E5%8B%95%E5%93%A1%E5%90%8D%E5%AD%97-%E6%89%BE%E5%9C%8B%E6%97%8F%E8%AA%8D%E5%90%8C-215858509.html 
  3. ^ a b 矢板明夫 - 徳間書店”. 徳間書店. 2021年3月2日閲覧。
  4. ^ この記事を書いたのは稲毛高校の卒業生である矢板昭雄さんです”. 千葉市立稲毛高等学校同窓会facebook). 2021年3月30日閲覧。
  5. ^ 矢板 明夫 | Facebook
  6. ^ 財団法人樫山奨学財団”. 財団法人樫山奨学財団 (2012年10月11日). 2021年3月29日閲覧。
  7. ^ 台湾有情「頼政権 早くも正念場」『産経新聞』2024年5月31日。2024年6月2日閲覧

関連項目

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外部リンク

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