矢口 長右衛門(やぐち ちょうえもん、前名・縫太郎1867年7月12日慶應3年6月11日[1] - 1935年昭和10年)11月4日[2][3])は、日本実業家政治家貴族院議員)[1][3][4]、栃木県多額納税[1][5][6]。族籍は栃木県平民[1][5][7]

人物

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先代矢口長右衛門の長男[1][8]。高松長三の実兄[8]。家は代々農業及び醤油醸造業を営み、栃木県下の大地主である[1][5]

1887年東京専門学校早稲田大学の前身)英語本科を卒業[1][9]帝国大学法科大学選科に入り、理財学を専攻し、帰郷して祖業を継承する[8]1911年家督を相続し、旧名・縫太郎を改めて先代の名を継ぐ[1]

早稲田大学評議員、塩谷郡醤油組合長、宝積寺銀行頭取[3]、宝積寺銀行取締役監督、宇都宮電球取締役会長、矢板銀行、小川銀行、喜連川興業銀行、下野中央銀行、下野新聞、宝積寺米券倉庫、宇都宮米券倉庫、塩原軌道取締役、東海生命保険監査役などをつとめた[1][4][5][7][8]。住所は栃木県塩谷郡北高根沢村[1][7]

1918年(大正7年)栃木県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から[10]1925年(大正14年)9月28日まで1期在任した[2]

家族・親族

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矢口家
  • 祖母・久良子1833年 - ?、茨城、小室平次右衛門の長女)[5]
  • 父・長右衛門栃木平民)[1][5]
  • 母・浪子1851年 - ?、茨城、小室俊平の長女)[1]
  • 弟・理喜1890年 - ?)[5]
  • 妻・信子1871年 - ?、栃木、三澤七郎平の長女[1]、三澤虎一の妹[8]
  • 男・1907年 - ?)[8]
  • 長女・富美子1895年 - ?、栃木、藤平謹一郎の息子眞の妻)[4][8]
  • 三女・隆子1901年 - ?、埼玉、武政恭一郎の二男俊次の妻)[4]
  • 四女・英子1903年 - ?、埼玉、田中源太郎の妻)[4]
  • 五女・松子1912年 - ?、茨城、狩野義胤の長男孝之の妻)[8]
親戚

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『人事興信録 第5版』や16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月26日閲覧。
  2. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』225頁。
  3. ^ a b c 『議会制度七十年史 第1』217頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月5日閲覧。
  4. ^ a b c d e 『人事興信録 第8版』ヤ11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月26日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g 『人事興信録 第4版』や7 - 8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月26日閲覧。
  6. ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』30頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月26日閲覧。
  7. ^ a b c 『人事興信録 第7版』や16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月26日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第10版 下』ヤ11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月26日閲覧。
  9. ^ 『早稲田大学校友会会員名簿 大正14年11月調』662頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月26日閲覧。
  10. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、27頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 『早稲田大学校友会会員名簿 大正14年11月調』早稲田大学校友会、1923 - 1924年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。