矢口哲朗
矢口 哲朗(やぐち てつお、1981年2月18日 - )は、埼玉県川越市出身の元プロ野球選手(投手)。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県川越市 |
生年月日 | 1981年2月18日(43歳) |
身長 体重 |
179 cm 74 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1998年 ドラフト6位 |
初出場 | 2000年9月21日 |
最終出場 | 2002年7月3日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物
編集大宮東高(同級生高地系治と現在も親友)では1年上の投手に酒井泰志がいた。3年夏は東埼玉大会準決勝で優勝した埼玉栄に敗れた。1998年にドラフト6位で中日ドラゴンズに入団。
1年目は体力づくりに励み、2年目に二軍で10勝を挙げウエスタン・リーグ制覇に貢献しファーム日本選手権で先発勝利した。一軍初登板も経験し、将来の先発の柱として期待された。二軍でのエース級の活躍、川上憲伸のような力強いフォームや容姿端麗であることから、人気が高かった。
だが、一軍では登板機会を与えられず結果を残すことができなかった。3年目の2002年には再び二軍で10勝を挙げ、ウエスタン・リーグ最多勝投手となっている。
2003年に肘を故障して手術。フォームをサイドスローに変更するも、成績が伸び悩む。バッティングセンスもあることから野手転向案もあったが、怪我の度合が深刻であったため、2005年オフに戦力外通告を言い渡された。
その容姿端麗さは中日ファンに限らず人気があったことから、芸能界からもオファーがあった。しかし野球にこだわり続け、合同トライアウトを受験したが、どこの球団からも誘いが無く引退した。引退後も中日に残り、2006年は打撃投手、2007年からはスコアラーに配置転換された。2009年末をもってチームを退団した。
後に愛知県の額田郡幸田町の幸田ボーイズで監督を務めている。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2000 | 中日 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 36 | 7.0 | 13 | 3 | 2 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 6 | 6 | 7.71 | 2.14 |
2002 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 13 | 2.2 | 5 | 1 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 2 | 6.75 | 2.25 | |
通算:2年 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 49 | 9.2 | 18 | 4 | 3 | 1 | 0 | 7 | 0 | 0 | 8 | 8 | 7.45 | 2.17 |
記録
編集背番号
編集- 61(1999年 - 2005年)
- 117(2006年)