真田幸信
日本の江戸時代前期の武士
真田 幸信(さなだ ゆきのぶ、? - 明暦2年3月21日(1656年4月15日))は、江戸時代前期の旗本。真田幸政の長男で、母は真田昌幸(幸政の伯父)の次女。弟に真田幸吉がいる。妻は保々貞広の娘。通称は左兵衛、長兵衛。
寛永10年(1633年)、小姓組の番士となる。承応2年(1653年)に父・幸政が死去したため、同年12月21日に遺跡を継いで2,500石を領する。この際、500石を弟・幸吉に分与した。明暦2年(1656年)、嗣子の無いまま死去した。法名は華嶽源桃。墓所は愛宕の青松寺にあったが、現存しない。
この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。 |