真夜中らじお組(まよなか - ぐみ)は、北海道HBCラジオ(北海道放送)で、1986年4月から1989年3月まで放送されていた深夜のラジオ番組

真夜中らじお組
ジャンル 帯番組/バラエティ番組
放送期間 1986年4月 - 1989年3月
放送時間 平日 24:00 - 24:30(30分)
放送局 HBCラジオ(北海道放送)
パーソナリティ パーソナリティの節を参照
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概要

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放送時間は月曜日から金曜日までの24:00~24:30。

スタート当初は5曜日全てディレクターがパーソナリティを務めるという構成で、全員がマイクネームで出演していた。1986年中に大通公園で当時のディレクターパーソナリティ全員で「深夜の大握手会」を行ったところ、集まったリスナーはたったの9人でリスナーよりスタッフの方が多かったということがあった[1]

1年後の1987年4月からはタレント、歌手、アナウンサーを起用するという形態に変更、それまでパーソナリティを務めていたディレクターたちはそれぞれ本業に戻ったが引き続き本番組のディレクターとして残った者もいる。

1989年3月終了後も、火曜日のYOUは『YOUのO型でゴメンネ』(土曜日深夜27:30~28:00)、及出泰は『タテノリライブパーティー』(土曜日深夜27:00~27:30)とそれぞれ引き続きHBCでパーソナリティを務めていた。なお、この2番組は放送時間が連続しており(「タテノリO型クイズ」という連動キーワードクイズの企画も行っていた。

パーソナリティ

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1986年4月~1987年3月

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  • 谷崎悶悶(榊原満、月曜日)
  • ビバップ松本(原田徹、火曜日)
  • ポン太まこと(神戸眞、水曜日)
  • 珍念(小川和美、木曜日)
    『放送禁止解除歌特集』などの企画を行う。パーソナリティ降板後も本番組の木曜ディレクターを務めていた。ラジオの『欽ドン!』(ニッポン放送)で、『ジャンプ賞』を受賞したことがあった[2]
  • 狸小路秀麿(河村靖、金曜日)
    パーソナリティ降板後も本番組の金曜ディレクターを務めていた。大学生時代は、オーケストラヴァイオリニストを務めていたことがある[2]

1987年4月~1989年3月

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  • ハロルド福地(月曜日、1987年4月~1989年3月)
  • メルビン後藤(月曜日、1987年4月~1988年3月)
  • MITSURU(火曜日、1987年4月~1988年9月)
  • 及出泰(水曜日、1987年4月~1989年3月)
  • 大神政敏(HBCアナウンサー、木曜日、1987年4月~1987年7月)
  • 橋本能成(HBCアナウンサー、木曜日、1987年8月~1988年9月)
  • 丸谷かおり(木曜日、1987年4月~1988年3月)
  • 五十嵐浩晃(金曜日、1987年4月~1988年3月)
  • 原田利恵(月曜日、1988年4月~1989年3月)
  • 重石真由美(木曜日、1988年4月~1989年3月)
  • YOU(火曜日、1988年10月~1989年3月)
  • 岩城毅(木曜日、1988年10月~1989年3月)

主なコーナー

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  • 万能相談コーナー(珍念)
  • らじお美人(狸小路秀麿)
仕事をする女性をスタジオに招き、トークをしていたコーナー。
  • ハロルドの学校逆自慢(ハロルド福地)
学校の、マイナスとなるイメージを募集してそれを競い合っていた[3]
  • メルビンの和歌コーナー(メルビン後藤)
  • 今週の1曲(MITSURU)
  • とほほコーナー(丸谷かおり)
  • びっくりコーナー(丸谷かおり)
  • 新アニメコーナー(橋本能成&丸谷かおり)
  • 懺悔の値打ちもないコーナー(橋本能成&丸谷かおり)
  • ラジオマドンナ(五十嵐浩晃)
共演希望の女性リスナーをはがきで募集し、選ばれた人が五十嵐と共演していた。先述の狸小路秀麿の日の『らじお美人』コーナーと瓜二つと言われていた(狸小路こと河村ディレクターはこの五十嵐の金曜日もディレクターとして担当していた)[3]
  • (出典:[1]

脚注

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  1. ^ a b 月刊ラジオパラダイス 1987年11月号 19-26ページ「中波四十七局全国行脚記録帳 北海道放送の巻」より。
  2. ^ a b 出典:別冊ラジオパラダイス「DJ名鑑」(1987年刊)
  3. ^ a b 月刊ラジオパラダイス 1987年11月号 19-26ページ「1987秋のラジオ改編大特集」30ページ
HBCラジオ 月曜~金曜24:00~24:30枠
前番組 番組名 次番組
真夜中らじお組