県庁通り (長野県)
県庁通り(けんちょうどおり)は長野県長野市の丹波島橋北詰交差点から信大教育学部前交差点(国道406号交点)に至る道路の通称。沿道に長野県庁があることから県庁通りと呼ばれる。
丹波島橋北詰交差点〜中御所交差点が国道117号、中御所交差点〜県庁前交差点が国道19号、県庁前交差点〜信大教育学部前交差点が長野県道399号長野豊野線である。
概要
編集丹波島橋〜県庁前交差点の区間は川中島・篠ノ井・松代方面と長野市街地とを結ぶメインルートであり、交通量は非常に多い。特に荒木交差点・中御所交差点では混雑が激しい。
県庁前交差点〜信大教育学部前交差点の区間は長野県の機関や国の機関が集中する官公庁街となっており、落ち着いた空気が漂う。しかし善光寺参拝客が増加する時期には、中央通りの迂回路として渋滞が激しくなる。
長野市の交通セル計画において、中御所北交差点〜信大教育学部前交差点の区間がセル環状道路の一つにあたる。
路線データ
編集- 起点: 長野県長野市若里五丁目(丹波島橋北詰交差点)
- 終点: 長野県長野市西長野町(信大教育学部前交差点=国道406号交点)
- 幅員
- 起点〜九反交差点 - 車道4車線(交差点部除く)・両側歩道
- 九反交差点〜ホクト文化ホール入口交差点 - 車道5車線(北行3車線 / 南行2車線)・両側歩道
- ホクト文化ホール入口交差点〜終点 - 車道4車線(交差点部除く)・両側歩道
主要構造物
編集沿革
編集- 1878年(明治11年) - 開通。ただし当時の長野県庁舎は本路線の北端、現在の信州大学西長野キャンパス(教育学部)の地にあった。
- 1890年(明治23年)9月 - 丹波島橋(木橋初代)が完成。
- 1913年(大正2年)10月 - 火災に伴い、長野県庁が現在の地(妻科)に移る。
- 1920年(大正9年) - 旧道路法に基づき、国道10号となる。
- 1932年(昭和7年) - 丹波島橋が鉄橋となる。
- 1935年(昭和10年)6月22日 - 昭和恐慌に伴う失業対策事業として、国道10号の丹波島橋〜大正町通り(現在の昭和通り)〜新田町の区間で改修工事が行われ、現在の形となる。
- 1935年(昭和10年)7月9日 - 信越本線・善光寺白馬電鉄(1944年廃止)との交点にみすず橋が架けられる。
- 1952年(昭和27年)12月4日 - 新道路法に基づき、丹波島橋〜県庁前交差点の区間が一級国道18号に指定される。
- 1970年(昭和45年) - 中御所交差点〜県庁前交差点の区間が国道19号に指定変更。
- 1978年(昭和53年) - みすず橋が改修され、幅員が2倍となる。
- 1987年(昭和62年) - 丹波島橋 - 中御所交差点の区間が国道117号に指定変更。
- 1997年(平成9年) - 北陸新幹線の先行開通区間の建設に伴い、みすず橋が改修される。
- 2003年(平成15年)3月31日 - 県庁前交差点〜信大前交差点(現 信大教育学部前交差点)の区間が、中央通りに代わって長野県道399号長野豊野線に指定される。
交差・接続する道路
編集- ↑ 国道117号