相馬遷子
経歴
編集水原秋櫻子に俳句の指導を受け、1940年より「馬酔木」同人。1945年より同人会長。同時に1938年から「鶴」同人、石田波郷に兄事する。同年斎藤玄の斡旋で句集『草枕』を出版。故郷の自然を詠み堀口星眠、大島民郎などとともに馬酔木高原派と呼ばれたが、山本健吉は遷子の句に他の「高原派」にはない、「鶴」との関わりからくる境涯性を指摘している。以後の句集に『山国』(1956年。一般にはこれが第一句集とされている)、『雪嶺』(1969年)、『山河』(1976年)、『相馬遷子全句集』(1982年)がある。1969年、『雪嶺』で第9回俳人協会賞受賞。
医師としては1943年北海道市立函館病院内科医長に赴任。1946年、故郷の長野県佐久市に医院を開業。1976年佐久病院で死去。68歳。
参考文献
編集- 山本健吉 『定本 現代俳句』 角川書店、1998年、513-516頁
- 冨田拓也 「俳句九十九折(26)俳人ファイルⅩⅧ 相馬遷子」 ―俳句空間―豈weekly、2009年3月1日
- 「相馬遷子」 デジタル版日本人名大辞典+Plus、kotobank