相馬中村神社
相馬中村神社(そうまなかむらじんじゃ)は、福島県相馬市中村に立地する神社。別名は妙見中村神社(みょうけんなかむらじんじゃ)だが、中村神社と省略されることもある。祭神は天之御中主神(妙見菩薩)。相馬野馬追の出陣式はここで行われる[1]。
相馬中村神社 | |
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所在地 | 福島県相馬市中村字北町140 |
位置 | 北緯37度47分49.65秒 東経140度54分48.45秒 / 北緯37.7971250度 東経140.9134583度座標: 北緯37度47分49.65秒 東経140度54分48.45秒 / 北緯37.7971250度 東経140.9134583度 |
主祭神 | 天之御中主神 |
創建 | 1611年(慶長16年) |
本殿の様式 | 流造 |
別名 | 妙見中村神社 |
例祭 | 4月18日・19日 |
主な神事 | 相馬野馬追(7月23日 - 25日) |
地図 |
概要
編集相馬中村神社の起源は、相馬氏の始祖である平将門が承平年間(931年 - 937年)に下総国猿島郡に妙見社を建立したことに始まるといわれる。相馬氏の相馬郡下向に伴い建立された。戦国時代の16世紀後半には、中村城が相馬氏の北の居城となり、相馬盛胤や相馬隆胤などが中村城主となった。
1600年の関ヶ原の戦いの結果として相馬氏は改易されたが、1611年に旧領への復帰を果たして中村藩を立てた。この時、中村藩の初代藩主となった相馬利胤(相馬氏第17代当主)が、1611年に中村城内の南西に相馬氏の守護社である妙見社を建立したのが、現在の相馬中村神社の起源である。
現在の社殿は寛永20年(1643年)に中村藩2代藩主相馬義胤(相馬氏第18代当主)により建立され、国の重要文化財に指定されている。
明治時代に入って廃仏毀釈により本尊の妙見菩薩が廃棄され、相馬中村神社と改称した。
また、中村城本丸跡には、戊辰戦争後の1880年に建立された相馬神社がある。
宮司は初代田代信盛から始まって、代々田代家が世襲して29代を数える。
かつては馬を飼育する厩舎も立地し、中にはバシケーン(2010年中山大障害優勝)やミリオンディスク(2009年カペラステークス優勝)など元競走馬も複数繋養されていたが[2][3]、2019年頃に厩舎は解体されており、現在は飼育は行っていない[4]。
1928年建立のコンクリート製の大鳥居があったが、2021年2月の福島県沖地震で損傷した[1]。その後、2021年12月にステンレス製の大鳥居(高さ7.4m)が神社に寄進されることになった[1]。さらに翌2022年3月にも再び福島県沖地震が発生、石灯篭が壊れたり橋が崩落したりした[5]。
文化財
編集重要文化財
- 本殿・幣殿・拝殿(1棟)
- 附 宮殿(くうでん)1基
画像
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相馬中村城大手門(2013年6月3日)
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中村神社入口。相馬野馬追にちなむ馬の像がある(2013年6月3日)
脚注
編集- ^ a b c “相馬中村神社に大鳥居 本県沖地震で被害、中川さんが奉納へ”. 福島民友新聞. 2021年11月15日閲覧。
- ^ 相馬中村神社で第2の馬生を歩み始めたバシケーン/美浦トレセンニュース - netkeiba.com・2013年2月7日
- ^ 相馬と南相馬で会った馬たち - netkeiba.com 2016年3月26日
- ^ 野馬追の地・相馬中村神社に参拝|アクセスや御朱印など
- ^ 相馬野馬追に向けて 2022年の地震で被害受けた相馬中村神社 修復進む - YouTube