相良頼泰
日本の江戸時代前期の武士。肥後人吉藩3代藩主相良頼喬長男で、人吉藩世嗣。従五位下壱岐守
相良 頼泰(さがら よりやす)は、江戸時代前期の肥後国人吉藩の世嗣。通称は長次郎。官位は従五位下・壱岐守。
時代 | 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 寛文2年7月3日(1662年8月16日)[1] |
死没 | 延宝5年10月27日(1677年11月22日) |
別名 | 長次郎(通称) |
戒名 | 徳光院文渓良鑑 |
官位 | 従五位下壱岐守 |
藩 | 肥後人吉藩世嗣 |
氏族 | 相良氏 |
父母 | 相良頼喬、相良長秀娘・於亀 |
兄弟 | 頼泰、頼真、式部、女子、万吉、又四郎 |
略歴
編集3代藩主(相良氏23代当主)・相良頼喬の長男として誕生。母は相良長秀の娘・於亀(春晴院)。
延宝元年(1673年)に4代将軍・徳川家綱に拝謁する。延宝4年(1676年)12月20日に従五位下・壱岐守を叙任した。
延宝5年(1677年)、家督を相続することなく父に先立って16歳で早世した。
代わって弟・頼真が嫡子となったが、同じく早世し、後に側室から生まれた庶子3男1女も全て相次いで早世したため、頼泰の母の弟で、叔父にあたる頼福が頼喬の養子となって跡を継いだ。
脚注
編集- ^ 『人吉市史』第1巻(人吉市、1981年)p.931
参考文献
編集- 堀田正敦 編「国立国会図書館デジタルコレクション 相良氏」『寛政重修諸家譜』 。