相良町 (弘前市)
青森県弘前市の町
相良町(さがらちょう)は、江戸期から現在にかけての青森県弘前市の地名。郵便番号は036-8211。2017年6月1日現在の人口は26人、世帯数は19世帯[1]。
相良町 | |
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北緯40度36分1.14秒 東経140度27分53.85秒 / 北緯40.6003167度 東経140.4649583度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 青森県 |
市町村 | 弘前市 |
人口 | |
• 合計 | 26人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
036-8211 |
市外局番 | 0172[2] |
ナンバープレート | 弘前 |
地理
編集当地の大部分を弘前大学医学部附属病院が占め、町域の北部は本町、東部は桶屋町、南部は南塘町、西部は在府町に接する。
歴史
編集- 寛文13年 - 弘前中惣屋敷図によれば侍丁とされ、37軒の武家屋敷がある。
- 元禄13年 - 弘前侍町屋敷割りでは、相良町と町名が見え、34軒の武家屋敷がある。
- 文化4年 - 御家中町割では38軒の武家屋敷がある。
沿革
編集- 江戸期 - 弘前城下の一町。
- 明治初年〜明治22年 - 弘前を冠称。
- 1899年(明治22年) - 弘前市に所属。
- 1947年(昭和22年) - 青森市から青森医療専門学校(のちの弘前大学医学部)が当地に移転し、弘前市立病院を附属病院とし、以降、弘前大学医学部附属病院として拡張を重ねる。その結果、かつての町並みは消滅して、現在の附属病院の西側と東側に、わずかに残る形となった。
相良清兵衛
編集相良清兵衛は、人吉藩人吉城主相良氏の家老で、八千石を得て権勢を振るうが、島原の乱において出兵を拒否。その後弘前藩に身柄を拘束される。
地名の由来
編集かつて町内にあった相良清兵衛の屋敷に由来する。
施設
編集医療
編集- 北都クリニック
公共
編集- 弘前本町郵便局
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
大字 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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相良町 | 全域 | 弘前市立朝陽小学校 | 弘前市立第四中学校 |
交通
編集本町、大学病院前(土手町循環100円バス・弘前駅 - 桔梗野・金属団地経由 - 桜ヶ丘線、他)停留所。
脚注
編集- ^ a b “オープンデータひろさき 弘前市 町名別人口・世帯数_平成29年”. ひろさき未来戦略研究センター (2017年6月1日). 2017年6月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
参考文献
編集角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)