相良歩
相良 歩(さがら あゆみ、1876年(明治9年)5月25日[1] – 1955年(昭和30年)11月20日[2])は、金沢市長。
経歴
編集石川県士族相良豊の長男として生まれる[1]。1899年(明治32年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、内務属となる[3]。その後、高等文官試験に合格し、愛媛県参事官、長崎県参事官、群馬県事務官・第一部長兼第三部長[4]、宮城県事務官、和歌山県内務部長、山形県内務部長を歴任した[1]。1917年(大正6年)より樺太庁内務部長を務めた[3]。
1922年(大正11年)、金沢市長に選出され、2期8年在任した。
脚注
編集参考文献
編集- 金沢市編『金沢市紀要』1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。