相良 安之助(さがら やすのすけ、1872年5月13日明治5年4月7日[1]) - 1948年昭和23年)6月8日[2])は、明治から昭和時代前期の政治家実業家貴族院多額納税者議員

相良安之助

経歴

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相良笑蔵の長男として鹿児島県に生まれ、1905年(明治38年)9月、家督を相続する[1]。生家は酒造業を営む[3]明治法律学校を卒業後、1897年(明治30年)鹿児島市柳町衛生組合組長、県衛生組合連合会会長、鹿児島市会議員、同市商業会議所議員、鹿児島県会議員、鹿児島肥料、鹿児島銀行、鹿児島朝日新聞各取締役などを歴任した[2]

1931年(昭和6年)鹿児島県多額納税者として補欠選挙[4]で貴族院議員に互選され、同年7月4日[5]から翌年の9月28日まで在任した[2]

親族

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  • 弟:敬三(貴族院多額納税者議員・藤武喜助の養子となる)[1][3]
  • 妹:フチ(貴族院多額納税者議員・岩元達一の父、岩元善蔵に嫁ぐ)[3]

脚注

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  1. ^ a b c 人事興信所 1915, さ66頁.
  2. ^ a b c 衆議院、参議院 編 1960, 194頁.
  3. ^ a b c 人事興信所 1928, サ117頁.
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、39頁。
  5. ^ 『官報』第1354号、昭和6年7月6日。

参考文献

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