相沢重明
相沢 重明(相澤、あいざわ しげあき、1910年(明治43年)3月15日[1][2] - 1981年(昭和56年)6月28日[1][2][3])は、日本の労働運動家[4]、政治家。参議院議員。
相沢重明 あいざわ しげあき | |
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生年月日 | 1910年3月15日 |
出生地 | 日本 神奈川県 |
没年月日 | 1981年6月28日(71歳没) |
死没地 | 日本 神奈川県横浜市中区 |
出身校 | 東京鉄道局教習所専修部卒業 |
前職 | 日本労働組合総評議会本部副議長 |
所属政党 |
(左派社会党→) (日本社会党→) 無所属 |
選挙区 | 神奈川県選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1956年7月8日 - 1968年7月7日 |
経歴
編集神奈川県出身[1][2][3]。1934年(昭和9年)東京鉄道局教習所専修部を卒業した[3]。
1929年(昭和4年)鉄道省に入省し東京鉄道局に配属された[2][3]。以後、鉄道官補、南方軍軍属、鉄道事務官、東京鉄道局内第1区現業委員、国鉄労働組合横浜支部委員長、同本部副委員長、神奈川県地評議長、官公労本部副議長などを務めた[1][2][3]。
1953年(昭和28年)年末闘争の責任を追及され解雇通告を受けた[3]。その後、日本労働組合総評議会本部副議長を務めた[1][2][3]。1956年(昭和31年)7月の第4回参議院議員通常選挙に神奈川県地方区から日本社会党所属で出馬して当選[1][2][3]。第6回通常選挙でも当選し、参議院議員を連続2期務めた[1][2][3]。この間、社会党神奈川県連副会長、参議院決算委員長などを務めた[3]。
1967年(昭和42年)3月、共和製糖事件において受託収賄罪で起訴された[1][2][5]。1973年(昭和48年)6月、東京地方裁判所刑事8部で懲役2年、追徴金150万円の有罪判決を受けた[6]。直ちに控訴し、1979年(昭和54年)6月、東京高等裁判所で控訴棄却の有罪判決を受けた[7]。直ちに上告した[8]が、判決前の1981年6月、急性心不全のため横浜赤十字病院(現横浜市立みなと赤十字病院)で死去した[1][2][9]。
脚注
編集参考文献
編集- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『現代物故者事典 1980〜1982』日外アソシエーツ、1983年。
- 田中二郎、佐藤功、野村二郎編『戦後政治裁判史録4』第一法規、1980年。
議会 | ||
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先代 岸田幸雄 |
参議院決算委員長 | 次代 鈴木壽 |