盛岡赤十字病院
岩手県盛岡市にある病院
盛岡赤十字病院(もりおかせきじゅうじびょういん)は、岩手県盛岡市三本柳にある病院である。日本赤十字社が運営する。
盛岡赤十字病院 | |
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情報 | |
英語名称 | Morioka Red Cross Hospital |
前身 |
日本赤十字社岩手支部病院 盛岡陸軍病院赤十字病院 |
標榜診療科 |
総合診療科 消化器内科 血液内科 循環器内科 脳神経内科 呼吸器内科 精神科 小児科 外科 消化器外科 小児外科 整形外科 脳神経外科 皮膚科 泌尿器科 産婦人科 眼科 耳鼻咽喉科 放射線科 麻酔科 ペインクリニック科 リハビリテーション科 緩和ケア科 |
許可病床数 |
354床 一般病床:324床 療養病床:22(緩和ケア) |
職員数 | 587名(2024年4月1日現在) |
機能評価 | 一般200床以上500床未満:Ver6.0 |
開設者 | 日本赤十字社岩手県支部 |
管理者 | 久保直彦(院長) |
所在地 |
〒020-8560 岩手県盛岡市三本柳6地割1-1 |
位置 | 北緯39度39分41秒 東経141度10分01秒 / 北緯39.66139度 東経141.16694度座標: 北緯39度39分41秒 東経141度10分01秒 / 北緯39.66139度 東経141.16694度 |
二次医療圏 | 盛岡 |
PJ 医療機関 |
沿革
編集- 1919年(大正9年)4月 - 日本赤十字社岩手支部病院として開院。同時に、支部病院内に救護看護婦養成所も開設。救護看護婦養成を開始。
- 1938年(昭和13年)12月 - 戦時衛生業務幣助病院として編入。
- 1939年(昭和14年)1月 - 盛岡陸軍病院赤十字病院へ改称。
- 1940年(昭和15年)5月 - 陸軍病院衛生業務幣助病院の解除。
- 1943年(昭和18年)1月 - 盛岡赤十字病院へ改称。
- 1947年(昭和22年)8月 - 昭和天皇の戦後巡幸の際、院長の南出英憲が拝謁。昭和天皇に乳幼児の発育や特殊疾患の話題などを奏上[1]。
- 1948年(昭和23年)4月 - 保健婦助産婦看護婦法施行に伴い、「救護看護婦養成」から「看護婦養成」へと変更。
- 1950年(昭和25年)3月 - 看護婦養成所を「盛岡赤十字看護学院」と改称。
- 1951年(昭和26年)3月 - 看護婦養成所を「盛岡赤十字高等看護学院」と改称。
- 1958年(昭和33年)6月 - 藪川村にへき地診療所として藪川診療所を開設。
- 1969年(昭和44年)5月 - 藪川診療所を閉鎖。
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 学校教育法の定める専修学校(専門課程)の認可に基づく、盛岡赤十字看護専門学校と改称。
- 1987年(昭和62年)2月 - 病院及び看護専門学校を現在地へ新築移転。
- 1995年(平成7年)- 専門士の称号が付与できる専修学校の専門課程として認可。
- 2004年(平成16年)3月 - 盛岡赤十字看護専門学校を閉校。
- 2009年(平成21年)5月 - 緩和ケア病棟を開設。
- 2011年(平成23年)4月 - 地域周産期母子医療センター認定。
- 2016年(平成28年)10月 - 地域医療支援病院認定。
診療科
編集院内施設・設備
編集医療機関の指定等
編集交通アクセス
編集のりば | 路線・系統 | 下車停留所 |
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5 | 407・412・613・614 | 「日赤前」 |
8 | 盛岡大船渡線 : 遠野駅経由 | |
14 | 604 |
- 岩手飯岡駅よりタクシーで約5分。
関連項目
編集- JR東日本東北本線:岩手飯岡駅
- 盛岡市都南総合支所
- 盛岡赤十字看護専門学校(大正9年4月 開校 ~ 平成16年3月31日 閉校)
- 日本赤十字社の施設一覧
脚注
編集- ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、402頁。ISBN 978-4-487-74410-7。
- ^ “第 2 章 災害予防計画” (PDF). 岩手県. 2015年8月2日閲覧。